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2021年02月03日10:41

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乱れる日々6

他者に対する興味が希薄だ、と云はれてゐる。

幼少期、通信簿に『子供にしては我関せず過ぎる』と書かれたらしい(母談)。
例えば友達が喧嘩してゐても黙って見てゐる、といふ子供だったやうだ。

思へばさうだ。
今も昔も、人がやってることより、自分がやることの方が興味が深い。
音楽も格闘技もイラストも、応援するよりは自分がやる方が好きになって今に至ってゐる。

特に、なにやら「つながり」を重宝する現代社会において、さういふ『醒めたスタンス』はマイナス以外になってないのではないか?とすら思ふ。
もっと積極的に他者と関わる日常を過ごすべきなのかもしれない。

友人は多い方だと思ってゐるが、歳をとるとそのやうなつながりも自然と希薄になり、若い頃の仲間とも、会う機会はほとんどなくなって来た。

それでもまぁ、いちをうエンターテイメントの世界に生きる人間なので、通常に日々が回れば、好むと好まざるとに関わらず人と関わるものではあるが、ライヴが組めない昨今、ホンマに他者との関わりが希薄になって来た。

友の中には、この混乱の中でこそ、積極的に友人やご贔屓先を訪ね、顔をつなぎ、支援をして、のやうな者もゐるが、感心する。
自分にはできない。

親にすら会いに行ってない。

こんな自分と、長らく付き合ってくれてゐる友人たちにも、今のうちにちゃんと感謝の気持ちを伝えておくべきではないか?と思ふ。

だが、突然逝ってしまった友人たちの多くが、その間際に部屋を片付けてゐたり、古い友を訪ねたり、といふいわゆる「虫の知らせ」の行動をしてゐたエピソードをよく聞くにつれ、こんな思ひを持つ自分はそろそろ死ぬのではないか?と思ったりして、なにかと複雑なのである。

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