久しぶりに大晦日に家にゐるので今年最後の日記を書こう。先ほど、今年最後の旅を終え、自宅に帰って来た。なんかそんな気になり、ひとつ手前の駅で降りて歩いて帰った。もはやどこも開いてない商店街をぶらぶらと風に吹かれながら歩くのは良い。ただし、後ろ
ワシは言動が抹香臭い上に、人生の半分以上を剃髪か坊主頭で過ごしてゐる為、仏門に帰依した人間と誤解される事が多いのだが、ぢつはれっきとしたクリスチャンである。親族血縁の中でもただひとりのクリスト者であり、まぁ変わり者扱いされて来た。ある時期か
「まだしばらくの間、社会に出ずに遊んでゐたい」といふ、よくある理由だけで、ワシは大学に行った。当時付き合ってゐた彼女と、あんまり離れたくなかった、といふ事もあり、近隣のテキトーな大学を受験して、あっさり合格した。とくに優等生ではなかったが、
郵便ポストみてぇな朱色の口紅を塗りたくり、オカメインコのやうに極端な頬紅を入れ、ばさばさ音がしさうなつけまつげを付け、といふメイクが流行り始めて久しい。最初、「あぁこの娘らはメイクに失敗したのだな」と思ってゐたのだが、さうではない、と知った
まだTVを見てゐた頃、風雲たけし城、といふ番組があった。大の大人が、もぅただひたすらに泥まみれになってアホなフィールドゲームに興じる、といふ痛快な番組であった。ごく普通の運動神経と反射神経、少しの運があればたれでも攻略の可能性はあり、これより
子供の頃は「しもやけ小僧」だった。冬は毎日がしもやけとの戦いだった。もぅ、見るだけで痒くなるくらい、真っ赤に腫れ上がった足を抱えて、冬を活くる少年だった。治す、といふか、緩和する方法にいろんな情報があった。もちろん、インターネットもなければ
古い友人のライヴを観に行った。もぅ「ロック」だった。彼の演ってゐる音楽はもちろん、会場も、観客も、そのノリも、飲み物ですら「ロック」だった。しかもいわゆる「ヤバい」かんぢの全くない、カラっと爽快で健全な「ロックな」コンサートだった。ロックと