何かをパフォームする人は、多分見た事があるタイプの夢、だと思ふ。さぁ出番だ、とステージに上がると、ネックの折れたアクースティック・ギターが置いてあり、当時一緒に演ってたギタリストが「お前、これでえぇやろ?」と云ふ。客席は数万人の大観衆。ワシ
今年は近年稀にCDを買わない年、であった。今数えてみたら、ホンマに買ってないな。旅先で知り合うミュージシャンと交換したり貰ったりするので、CD棚が減ってゐる、と云ふ訳ではないが、カネ出して買ったのは1~2枚かもしれぬ。かつて壱ヶ月に10枚のペェスで
年間のライヴ数がまだ100を切ってゐた頃は、だいたい12月の25日くらいにはその歳の演奏予定は終わってゐた。あとは大掃除をしたり片付けをしたり映画(ヴィデヲ)を見たりするのみ、の歳末〜正月、だった。此処数年はありがたい事に、年末ギリギリまで演奏が
女房が傍らでタイヤキを喰ってゐる。かつて「およげたいやき君」と云ふ曲が、日本中を席巻した時代があった。ヒットしたのが1975年。その後、シングル・レコードの売り上げ総数では、いまだこれを越えるヒットが生まれてない、といふ化け物のやうなヒット商品
ワシは、クリスマスをちゃんと祝いたいからキリスト教に入信した、と云ふちょっと変わったクリスチャンである。間違っても「敬虔な信者」ではない。むしろ立派な「不良信者」である。クリスチャンである事は自覚してゐるが、此処数年、教会にも顔を出してない
4年前のけふ、ウチで15年生きたグリーンイグアナが逝った。「うさぎ」といふ名の巨大なとかげだった。昨日の夢に、姿形はうさぎにそっくりで、しかし眼が猫の瞳孔のやうに縦型で、しかも他のトカゲを襲って喰ふ、と云ふ凶暴なとかげが出て来た。ウチの「うさ
友人のミュージシャンが『10億円くらい欲しいな』と云ふ。普段、あまり金に執着せぬタイプの奴だったので少し驚き、へ〜、と思った。何故、さう思ふのか?を訊ねてみると(ライヴやイベントの)交渉事において会場にシノゴノ云はれたり、ギャラの支払いなどで
学生時代、運送会社でバイトしてゐた。しはすが進み、学校も終わり、郷里に帰って行く学友が多い中で、ワシは大晦日まで勤務する事にしてゐた。「兄ちゃん、学校終わりやろ?。明日から朝から出てくれんか?」と云はれ、いぃですよ、と答えた。だが、年末の運
なんとなく時代はずれの事がしたくなり、顔本やついったー主体のこのご時世に、あえてmixi日記をマメに書こう、と思ひたち、ついにそれが100稿になった。オチの無い話しを書くのは、それなりに楽しくはあり、続いてゐる。もともと、文章を書くことは好きで、
大雪に見舞われた広島市内幸い仕事に支障無く、準備のおかげもあって普通に暮らせてはゐる。いちばん酷い吹雪の日、ちょいと用事ありて出かけた。傘をストックの代りにして、ゴーグルは花粉用眼鏡で代用。トレッキングシューズにバックパッを背負い、クリスマ
「チューリップ」にハマってゐる。花のチューリップではない。鶏肉のチューリップだ。手羽を細工して身を重ね、手で持って食べやすくしたアレ。ツイぞ見かけなくなった料理だが、ひと昔前、鶏肉のナニか、と云へばこれか「鶏足=骨つきもも肉」だったやうに思
最近、雨がさうであるやうに、「雪」といふ気象が情緒などでは語れなくなって来てゐる。天気図を見てみると、まるで地上で颱風が発生したかのやうな低気圧。凄まじい西高東低の気象図に、予想される悪天候を上回る今朝の積雪であった。けふこの後、どーなって
職業的に声を使う(唄を歌う)ひとで、自分の声が好き、といふ人はあまりゐないのではないか?。まぁ中には自分の声に惚れ込んでゐる、といふ自己愛の強い人もゐやうが・・・誰しも経験あると思ふが、録音された自分の声を初めて聴いたとき、人は『え?』と思
しはすはすすむ 角を曲がれば 見慣れた町並み寂びれた商店街 客の居ない喫茶店綿毛追いかけて ふらりさまよへばいつもの道で 君を見かけたあれはどれくらい 昔の事だらう?僕の暮らしが夕暮れににじんだうしろ振り返り 僕を捜したささやかな幸せが
昨年他界した父親・・親父が晩年、居間で日中コタツで本を読む→寝る→起きてタバコ吸う→また本を読む→寝るといふルーティンを繰り返してゐた。ワシは在宅中は主に二階の自分の部屋(現在はない)にゐて、トイレや飲み物を取る時に居間を通りかかり、そのた
ソロであちこち廻り唄ってゐたころ、アンプの上にカメラを置き、セルフタイマーをセットして、演奏中に自分の背後から客席を撮る、みたいな涙ぐましい事をやってた事もある。ちょいと前までは、知人のいない見知らぬ街にひとりが行き演ったライヴの写真、を手
「名前をよく間違われる」といふのは以前も書いた。梶山シュウこの、シムプルの何を間違える、と云ふのか?そのやうな星の元に生まれた、としか思へない。いっその事「於呂家山伊兵治」とかいふ屋号にすれば良かったのか?さすれば「それはどんな字を書くの?
「シュウさんって日頃なにやって暮らしてるんですか?」と訊かれる事が、最近増えた。「なに、ってミュージシャン、で喰ってますが」と答えると、『いや、それは知ってゐる』と。そげな事より、その生活感の無さはなにか?と。もしかしてものすごい金持ちのボ
ワシは本来、たいへん「飽きっぽい」ニンゲンで、どんなものにもわりとすぐ飽きる。その割に、トレーニングやら水墨画やら、さういふ地味な営みが長続きしてゐるやうな印象を他人に与えるのは、飽きる→興味がぶり返す→没頭する、といふサイクルが、ハタから
基本的に「機械は壊れるまで(壊すまで)使う」といふ主義なので、愛用してゐる機器のほとんどはボロボロである。所謂「新しい機能」に惹かれて新調する、といふ事はない。最たる例がケータイであり、所謂「ガラケー」と云はれるものを、もぅ10年近く使い倒し
「映画」が初めて人類の前にその全貌を現した時、の動画を観た事がある。『映画(活動写真)と云ふものを初めて見る人たち』を撮った映像だ。居合わせた人々がどーいふセレクトだったか、までは分からぬが、おそらくは当時のセレブリティ、文化人たちであった
ライヴ会場や宿泊先に、薪ストーヴや暖炉があったり、野外の会場などで火を焚いてゐたりすると、服や髪に「煙のにほひ」が付く。これがスモーキィでたいへん良い。家に帰ってからもしばらく香ってゐて、飯が喰へさうである。昨日の会場&宿泊先には暖炉があっ