まだウチにTVがあった頃、こんなCMがあった。たしか「血尾微田」とか「利歩尾端」とかさういふ飲料のだったと思ふ。朝の住宅街。「おーい!」と叫びながら通勤のバスに乗り遅れたらしひ男が必死でバスを追いかけてゐる。さらにそれを追って走る妻。「あなたー
シュウさんから見て、「上手い」と思ふミュージシャン(ベーシスト)ってだれですか?と問はれる事がある。なかなかシャープな質問だ。そんな事に答えられるほど、ワシは音楽を広く聴いてゐる訳ではない。最近のバンドなんぞ、名前を挙げられる物すら限られて
むか〜〜〜し、まだ料理の知識もなかった頃「モノは煮込めば煮込むほど美味いのだ」と思ひ込んでゐて、ポトフーを作った。人参、玉葱、大根、セロリ、キャベツ、キノコ各種、鶏肉、ハーブ、これらを大鍋で丸一日煮込んだ。旨味もなにもすっかり抜け切り、「た
打ち上げや、不特定多数の飲みの席でフイに「(血液型は)なに型ですか?」と問はれる事がある。壱時期よりは減ったが、今も時折フと、その問いが現れる。本当に申し訳ないけど、ワシは話題としてこれほど不毛なものも無い、と思ってゐるので、だいたい「Z型
昨日の日記で肺活量につひて述べた。肺活量値が高い(大きい)ことのメリットが、大して無い、といふ事を書いたが、以前まだTVを持ってゐた頃、こんな番組を見た事がある。そは「肺人間コンテスト」とかそんなかんぢで、よぅするに肺活量の多い(高い)ニンゲ
ニンゲンドック、に行って来た。10年にいっぺん。前は40歳の時に。まぁ「半日ドック」なので、車で云ふ車検のやうなもんだ。大した事は無い。結果も大した事は無い。なにもない。年相応か、少し若いくらいの「健康体」である。体質なのだらうが、若い頃からコ
彼はラッパ吹きだった。古い時代の「バンドマン」で、体育会系がそのまま人生になったやうな男だった。気が合い、一緒にバンドを演ってゐた。だが、リハに遅れる、酒飲んでやって来る、約束を忘れる、と困った事が続いた上に、やがてワシに対し、音楽的にとて
なにやら数件、「(この)店を継がぬか?」といふ話がある。ワシが料理が好きで、「居酒屋椎修」などのやうな事をやってゐると知り、少なからずその内実を知ってゐる方からの言葉だ。心動かぬでもない。20代のはじめ頃、自分でナニカの店を出す、といふ事を朧
ネイティヴな関西弁を使った佳曲のひとつに「大阪で生まれた女」がある。ぢつはこの唄、全部唄うと30分近くか以上かかかる大曲なのださうで、我々がよく知るヒットしたヴァージョンはその中のいくつかをピックアップしたものらしひ。さう云はれてみると、スト
昨日仕事場の電話に、電話会社のナニかからコールがあった。「企業主様ですか?」と問うので、いちをうさうだ、と答え、その後応答した。まぁよぅは電話会社を乗り換えろ、とそんな話だったのだらう、途中で断って切った。中で「現在、どの会社のお電話を使わ
こんなワシだが、高名な社会学者の友人がゐる。歳はだいぶ上だが、親しくさせてもらっており、ウチに泊めてもらった事もある。1960年代初頭の、庶民における週末レジャーの第一位が「読書」であった事も、彼に教えてもらった。彼に「これからのこの国をどう生
ワシの元に来て9年、機材を乗せ、西日本を(その範囲以外は電車移動)走り回ったツアー車「にっち」が崩御したのをきっかけに車を買い替えた。このさい新車を買って、もぅ死ぬまで乗り続けるかどーか迷ったのだが、経済的にやはり無理がありさうなので、また
今年の夏は、良いライヴもしたが、色々とレヂャーも楽しんだ。列車旅や登山、何年ぶりかのキャンプや海水浴。久しぶりに皮が剥けるほど日焼けもした。夏レヂャーの仕上げ、と云ふ訳でもないが、先日、浜名湖に立ち寄った際、友人がプレジャー・ボートに乗せて