友ができる。
きっかけはなんであれ、人と人が意気投合し、友となる。
それが複数となれば、仲間ができる。
その楽しさと充実さがピークの時期、そは永遠に続くやうに思ふ。
この友情は本物で、永遠の仲間だ、と思ふ。
だが、残念ながら、さうではない。
「夏」の時期は必ず去る。
多くの場合、さしたる理由のないまま、その「夏」は終わってしまふ。
「夏」が長い場合もあらば、とても短い時もある。
そして、さういふ「かげろうの夏」をなんども経験して、歳を取ってくると、さういふ「夏の季節」そのものに、あまり期待しなくもなる。
友情が終わる、訳ではないのだ。
友情はその後も、穏やかに続く。
その穏やかなつながりこそ、本当の友、と呼べる存在であることに気づく。
だが、たしかに血沸き心踊るあの夏の時期は、存在するのだ。
仲間は永遠であり、光は遠くで眩しく輝き、何事をも不可能なことなどない、とすら思ふ、あの「夏」の存在があったればこそ、我らの精神はともに高みに達し、強い絆で結ばれるのである。
友よ。
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