ひと冬、スキー場で仕事した事がある。音楽の仕事だ。リストランテやロッヂの人達に聴いてもらふ音楽を提供する仕事だった。こ・れ・が・なっかなか大変な仕事で、つまりワシら名もなき音楽家には、そこで音楽を演奏する為の設備その他も自分たちで準備せねば
肉体的な衰えや、精神的な懈怠を感じ、自らが「歳をとった」と思ふ事もあらば、久しぶりに会う他人に「ハラが出たね」とか「ハゲたね」とか云はれるとムカつくが、まぁさうなんだらうな、と思ひいったいヒトはいつから「少年」が「青年」になり、「中年」から
去年もこの時期になると日記が尻窄りになったな。まぁ年の瀬に向けて色々片付きはじめ、は〜、といふ気になるので、だらう。さう云へば本物の「日記」これを12月の半ば以降書いてない気がする。1週間くらいは書き溜めたりはするが、こはあまりに永き休筆。し
旅先では時折カプセルホテルを利用する。外国人からすると「考へられない」さうなのだが、あの蜂の巣のやうなせーまい処に入って一晩を過ごす、と云ふは、まぁ確かに日本人的感覚ではある。旅なれて来ると、あれはそれほど「お得」な宿泊手段ではない、といふ
シルクロードを旅したとき、まぁ毎日ビールを水のやうに飲んでゐた。中国国内で飲めるビールはたいへんあっさりしてゐて、アルコール度も3〜4%とかそんなのだ。ので、ホンマに水の代わりに呑む、みたいに呑んでゐた。ある日相棒が『中国で酒、云ふたらやっぱ
本当に驚いたりした時に「キャー」なんて黄色い声が出るものかといふのがウチの女房の持論だった。さういふ時に出るのは「ギャァ!」であり「ア"ー!」であり、むしろ文字には出来ない、ナニカの音節だ、と。確かにその通りだと思ふ。ちなみにワシがバンヂー
飲食店などで、客から長く愛され、続いてゐる店には特徴がある。そは店主(なりバーテンなり)が、「よく人の顔を憶えてゐる」といふ事だらう。久しぶりに行った店で、『壱年前に来られた時は、確かこれをご注文なさいました』とか『けふはどこでライヴだった
三好銀、といふ漫画家がゐる。20代のはじめ頃、立ち寄った本屋でフと手に取り、自分でも理由が分からぬまま購入した。「三好さんとこの日曜日」といふ漫画だ。画力があるんだかないんだか分からん不思議なタッチ。ストーリィもあるんだかないんだか分からん不
家でデスクワークをするのに、狭い家には不似合いなデカい机を使ってゐる。こは結婚したとき、女房が買ってくれた「システムデスク」といふやつだ。本体は、ただの板きれの組み合わせで、引き出しやらは独立してゐる、といふ・・・。ワシらが「机仕事」と云ふ
去年の今頃、「来年は『紳士』を目指そう。その為には坊主はもぅやめだ」と思ひたち、紳士、と云へばやはりオールバックだらう、と髪を伸ばしはじめた。で、ほぼ人生で初めて鏡に対峙し、櫛やグリースなんぞを使って、髪型を整える、といふやうな事をやってき
先月、珍しく行事が集中し、激忙の壱ヶ月を過ごした。ライヴが19本あった上に、新規の企画、企画の監督、リハ、レッスン・・・、明らかにワシといふ人間のキャパを越える壱ヶ月だった。で、それをくぐり抜けてしはすに入った。今月も忙しくない訳ではないが、
いつぞや、こんな事を云った人がゐた。『今後、紙媒体としての『本』や、音楽媒体の『CD(レコード)』はなくなる』ネットによる配信、を指しての言葉だが、なるほどさういふものかね、と思った。今、音楽の「配信」は割と普通の事になってゐて、メヂャーもマ
しはすの進みに乗せて、まとまった数の服を処分した。ヲーキング時に使ってゐたトレーニングウェアとか、ステージ衣装に使ってゐたシャーツやら、穴空きのジーンズなど。結構な数持ってゐたエスニック系のシャーツも処分した。50になって普段使いのエスニック
本格派ルポルターヂュ本に、辺見庸氏の「もの喰う人びと」と云ふのがある。世界中の(主に)紛争地帯、貧困国を訪ね歩き、現地のヒトが食べてゐるものと同じものを食し、そこでヒトはなにを考へるか?。そしてなにより、どれだけヒトは「喰えてない」のか、を
音楽の印税、てのがあって真偽のほどは分からんのだが(印税生活をした事がないので)、噂によると歌唱、作詞、作曲、編曲、それぞれ¥3づつなのださうな。つまり自作自演・・・作詞作曲アレンジ歌唱を全てひとりが演って、そのレコードが壱枚売れると、その
ここん処、街なかや飲食店で、年配の男性が連れの女性に対し「あなた」と呼びかける局面に遭遇する。「あなたは烏龍茶にしなさい。私はビールを・・・」とか「ここはあなたの好きなタイプのうどん屋だね」とか。素敵だ、と思ふ。たいへん紳士的で素晴らしい。
意味も無く服を脱ぎたがる人種がゐる。野生の本能、と云ふよりはやはり「見せたがり」を強く感じる。幼児性の自己顕示欲の現れだ。かつての自分がさうだった。やはり人より鍛えた肉体を、誇示したい気がない、といふハズはない。入れ墨を見せたくなるかんぢと
ヴァイオリン・ベース、といふ楽器がある。まぁベース・ギターだ。形がヴァイオリンに似てゐるから、といふだけで、ヴィヲロンの音が出る訳ではない。たいへん特異な楽器である。ヘフナー、と云ふ独逸のメーカーが古くから作っており、かのビートルズのポール
以前、夜道を歩いてゐて、おかしなところに人が立ってゐるのを見かけた。なにをしてゐるのだらう?と思ひ、見てゐると、向こうもこっちを見てゐる。「?」そのまま目をそらさず近づいて行くと、向こうはフと視線を外し、居なくなった。しばらくして、その場所
バンドマンに欠かせない場所、として「音楽スタヂヲ」がある。今のワシは、自前のレッスン室や、コミュニティ内で割と自在に使えるスタヂヲがあるので、一般的な「レンタル・スタヂヲ」を借りることはあまりない。むか〜し、まださういふレンタルのスタヂヲを
真偽のほどは分からぬ話だが「時間を忘れるほど」ナニかに没入してゐる時、人間の細胞は本当に「経年」を忘れてゐるらしひ。少なくとも一個体、としての時間は、本当に止まってゐる、と云ふのだ。それをすれば、好きなこと、楽しいことに没入する仕事を持つ人
80年代終盤から90年代始めにかけて、「便利屋」といふ仕事をやってゐた。当時は「なんでも屋」と呼んでゐたが、我が社(?)のキャッチコピーは『皿洗いから庭石の撤去、子守りからご老人の送り迎えまで、なんでも引き受けます』といふものだった。健康で頑健
100年ぶりにニンゲンドックへ行った。こんなものは毎年、定期的に受けんと意味はないのだ、と知ってはゐるが、まぁ久しぶりに受けてみて、当然ながら齢を重ねただけの結果は出てゐた。自分的に厄介だな、と思ったのが視力と聴力の低下だ。視力は、左右に驚く
むか〜しから、「舞台度胸」と云ふものがある。少年時代からすでに、人前で落ち着いて喋れる特技を持ってゐた。音楽を演るやうになり、その特技は生かされ、ますます磨かれてゆく。ので、そのテの事が苦手な者の代行を、よく務めて来た。生徒会立候補者の応援
300年前に卒業した小学校で行われたイベントに出演して来た。卒業した、とは云っても、ワシが通ってゐた頃とは場所も違うし、校舎もなにやらデザイナーなんぢゃら、と云はむばかりの近代的なアレで、ワシなぞ、関係者に『これ教室ってどこにあるんですか?』
「ミスト」といふ傑作映画がある。田舎の街にある日突然謎の霧が立ちこめ、その霧にまぎれた異形の化け物が人を襲い、パクパクと喰ってゆく。スーパーマーケットに取り残された群衆の運命やいかに!?。といふホラー映画。原作はスティーブン・キング。グロい
おかげさまをもちまして、梶山シュウ生誕祭50th準備した50曲+アンコール壱曲、計51曲を5時間で完唱し、滞り無く終演できました。駆けつけてくれたお客さま、遠方からエールを送ってくれた皆さん、協力してくれた友人知人、そしてなにより共に演奏し唄ってく
弦楽器における消耗品=弦。こは弦楽器弾きの宿痾であり、宿命であり、原罪である、とも云へる(?)。以前、「どのやうな弦が理想か?」といふアンケートを、著名な弦楽器奏者100人に問うたものがあり、それのほぼ8割に至るヒトが『死なない弦』と答えてゐた
街をあてどなく歩いてゐて、知人にフと声をかけられることがある。広島はちーさな街で、しかも繁華街が一カ所に集中してゐるからだ。ワシ自身、茶店で小壱時間ぼーっと外を眺めてゐると、1〜2人の知人が通りがかるのを見る。えらく久しぶりに会う人だったりし
皆が皆さうだ、と云ふつもりも無いがミュージシャンの究極の、しかし絶対に叶わぬ希望、として「自分のライヴを生で見る」といふモノがあるのではなからうか?ない?ワシはある。この梶山シュウといふ男が、どのやうな事をステージで演り、それを見てどう思ふ