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2006年06月23日18:51

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●身辺雑記(82)/■人生と文学と政治 (10)

■人生と文学と政治 (10)

 ●茫々として

  ほんとうは、「人生と文学と政治」の第10回は
  「人生的な、餘りに人生的な」とでもタイトルを
  つけて、おしまいにする予定だった。

  でも、もとの表題「人生と文学と政治」については
  ほとんど書けていない。

  「無駄話」と、余談な「道草」ばかり。


  これでは、私の人生と同様、「日暮れて、道遠し」。




  そこで、一気に結論を書けば、

  私は、ただただ「人生的な」ものを求めていたし、
  いまも、求めている。
  そう言えば、それで十分なのだ。

  私のほしいもの、それは「人生的な」もの、
  それだけだ。



  広津和郎芥川龍之介宇野浩二三人の話
  私の言いたかったことは、そこには「人生派」と「芸術派」
  区別があったが、私はといえば「みだりに悲観もせず、楽観もせず
  という広津和郎により親しいものを感じた、ということだ。



  そして、「敗北の文学」で登場した宮本顕治
  「人生派」と「芸術派」にクサビを入れるかのように
  「社会派」ならぬ、<絶対>を信条とする「政治派」を
  登場させたのだ。


  私は、明治の文豪の夏目漱石森鴎外国木田独歩
  幸田露伴島崎藤村などを読み、「自然主義文学」から
  「白樺派」の有島武郎武者小路実篤志賀直哉を読んで、
  倉田百三芥川龍之介を読んだ。



  しかし、当時、「人生派」と「芸術派」の隔たりは遠くなく、互いに
  理解もあった。そして、「プロレタリア文学」が吹き荒れたときでも、
  その「政治派」と「人生派」と「芸術派」の距離は、そう遠くなかった。


  そのことを、菊池寛は、自分は「芸術は表現なり」という説を肯定する
  としながらも、「ある文学作品の中には、芸術表現とは全く別の
  価値がある」として、たとえば、芥川龍之介の「蜜柑」や自身の
  「恩讐の彼方に」をあげ、

    「私は、あの題材を芥川氏から口頭で聞いたとき、既に
     ある感慨に打たれた。私の「恩讐の彼方に」という
     小説も、あの筋書きは耶馬溪案内記に載っているのだが
     その案内記を読めば誰もが、既に或る感動に打たれるだろう」

  と言っている。そして、

    「文芸作品の題材の中には、作家がその芸術的表現の
     魔杖に触れない裡から、燦として輝く人生の宝石が
     沢山あると思う」

  と書き、

    「武者小路氏が、当代の青年を動かした力は何であろう。
     それは氏の<芸術的価値>ではない。氏の<道徳的思想的価値>
     ではなかろうか。当代の読者階級が作品に求めている
     ものは何か。それは実に、<生活的価値>であり、<道徳的価値>
     である」

  とも書いた。 (平野謙「昭和文学の可能性」P.40-42)






  芥川龍之介が死ぬ寸前、そして、死んで、宮本顕治
  「敗北の文学」を、横光利一が「機械」を、小林秀雄
  「様々なる意匠」を書くまでは、小説や評論には、
  <人生と文学と政治>とを貫く「地下水脈」に似た
  「時代を共有する」意識と連なりがあった。

  その一端を示すためには、広津・芥川・宇野のつながり
  ほかに、芥川龍之介中野重治の邂逅にふれてもいい。



  昭和元年「文芸雑談」の中で、芥川はすでに同人誌「驢馬」に
  発表されていた中野重治に注目していた。
  中野と芥川を引き合わせたのは室生犀星である。

    「こちらが<波>の作者です。これが芥川君」

  と言って、同人誌「裸像」に載った詩<波>の作者として、室生犀星
  中野を芥川に紹介した。芥川は、大正14年5月に発表されたこの詩を
  すでに知っていて、「ありゃぁ、いいね」とでも褒め称えたことが
  あったに違いない。そして、「我々の前に横たわる戦線はただ一筋、
  全無産階級の政治戦線あるのみだ」とする中野に対して、
  芥川は「どうか文学を捨てないでほしい」と要望した。
   (同書P.47-63)




  そのような「時代と人々の連なり」を感じながら、私は
  文学を読み、政治を知り、人生のことを考えてきたのだ
  と思う。

  そして、それは先人がたどった道のりであり、また、
  つまずき立ち止まった箇所であった。
  私も、そこで立ち止まり、頭をぶつけて悩んだ。

  私の読書歴とは、そのような「時代と人々の連なり」の中で、
  母の胎内で「系統発生」を繰り返し生まれてくる赤ん坊のように、
  それは、政治や文学や生活の、人々の「論争の歴史」でもあるよう
  だった。





 ●満ち足りて

  そして、きのう
  「雲泥斎」さんの日記を読んでいたら、
  「ヨーゼフ・Kと岡潔」という題で、カフカのことが
  書かれていた。


    保坂和志の指摘によれば、カフカの『城』を
    丹念に読んでも、城のある街の地図を描くことは
    できないし、
    『審判』をいくら読んでも、ヨーゼフ・Kの所属する
    銀行の組織はどうなっているのかわからないという。

  という書き出しで、書かれていた。


  私は、「保坂和志」という名前と「カフカ」という文字に
  目がいった。


  そして、むかし読んだ、野呂重雄「混沌の中から未来を」のなかの
  「カフカと涅槃」という文章を思い出していた。




   「最も幸福にして、また最も不幸なぼくが、
    今、夜中の二時に寝につく時の霊感の特色は・・
    或る一つの仕事だけを目指すものではなく、
    何でもできるという性質のものだ。ぼくが盲滅法に
    たとえば、《彼は窓から眺めている》という
    文章を書きつけると、もう、その文章は完璧で
    ある」

   「君が家を出る必要はない。机に向かって、聞くのだ。
    聞いてもいけない。ただ、待っているのだ。
    待ってもいけない。ひとりっきりで、じっとしているのだ。
    (そうすると)世界は仮面をぬぐことを申し出るだろう。
    ほかにどうしようもないのだ。世界は歓喜に酔いしれて、
    君の前で身悶えするだろう」
  


 ●そんなことを思い出し、私は思ったのだ。

  「日暮れて、道遠し」と嘆くことは何もないのだ。

  世に示現すること、それはそうたいしたことではないのだ。



  私は、もう何も望むことはない。
  待つことさえ、いらないのだ。
 
  
    《私は窓から眺めている》


  と、書くだけで、その文章は完璧であり、
 

    世界は歓喜に酔いしれて、私の前で身悶えしながら
    世界は仮面をぬぎはじめる


  そのように思う。



■参考
  ・「人生と文学と政治」資料
  ・「カフカと涅槃」



 
■参照
  ・人生と文学と政治(1)
  ・人生と文学と政治(2)
  ・人生と文学と政治(3)
  ・人生と文学と政治(4)
  ・人生と文学と政治(5)
  ・人生と文学と政治(6)
  ・人生と文学と政治(7)
  ・人生と文学と政治(8)
  ・人生と文学と政治(9)
  ・人生と文学と政治(10)
  ・人生と文学と政治(11)



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