mixiユーザー(id:1040600)

2006年06月15日01:39

45 view

●身辺雑記(73)/■人生と文学と政治 (1)

■人生と文学と政治(1)

 ― 政治的な「立場」 ―


            (注:用語のうしろの「*」印はリンクを示す)

 ●私は、きわめて「非政治的」人間である。
  「非政治的」という意味は、天下・国家を論じたり、国の行く末を
  考えたりするタイプではなく、身の回りのこと、家族のこと、
  もっといえば、自分自身のことを考えるのに精一杯の人間であり、
  ミクロの「じくじくした悩み」はいっぱいあっても、マクロに
  モノが見えたり、その問題点を剔抉(てっけつ)できるような
  能力もない。


 ●したがって、「政治的」な領域に積極的な関心はない。

  しかし、そんな人間でも「政治的」な場に立たされることがある。
  それを身近に知ったのは、大学を卒業する年に「大学紛争」*
  遅まきながら私たちの大学でも起こり、「大学封鎖」*があったからだ。

  夜中、私の下宿にも誰かが、丘の上に建っていたちっぽけな学舎に
  バリケードを築いて、「社青同」*だか、どこだかのセクト*が占拠した
  との知らせをもってきた。


  その数日前から、「占拠」*の噂は流れていたように思う。一学年で
  300名、全学でも1500名にも満たない大学で、「占拠」*
  起きた。

  私はもう寝ていたかもしれない。起こされて下宿から20分位
  歩いてバス道を登り、大学まで友人と来たと思う。

  もう、本部の建物、喫茶部や食堂あたの入り口は机や椅子で塞がれ
  ていて、中に入れなかった。

  人も、五、六十人はすでに集まっていたように思う。建物の中に
  ヘルメットをかぶった学生が見えた。私たちは二階の教室や
  中に立てこもっている人を外から眺めた。

  外から眺めている人のなかに、建物の中に立てこもっている連中に、
  バリケードを取り除け、 降りて来い、外に出ろ、と叫ぶ人も
  いた。「体育会系」*と後に呼ばれるが、確かに運動部のクラブに
  所属する人に、怒って罵声をあびせ、叫んでいる人が多かった。

  (「民青」*と呼ばれる人たちは、このとき、なぜか私たち*
   同じ側でなく、「体育会系」*の人たちと一緒になって罵声を
   浴びせていた)



  私には、何か、遊んでいるような、あるいは、したくもない
  「茶番劇」を演じているような感じに、その光景は見えた。
  全国でいま巻き起こっている「大学封鎖」*を私たちの大学でも
  流行に乗り遅れまいとして、やっているように見えた。


 ●そして、夜が明けかけ、空が白み始めると大学に集まってくる
  人数が増え、いつの間にか、建物に向かって、封鎖解除を叫ぶ
  人たちと、私たちのように、建物を背にして、「封鎖解除」叫ぶ
  人たちに対面し、腕と腕を組んで、叫ぶ人たちが建物の中に入ろう
  として、中の学生と衝突するのを阻止するためにピケットラインを
  張る人たちに分かれた。


  (したがって、立てこもる「社青同」*と、それに反対する
   「体育会系」*・「民青」*と、両者の間にピケットラインを張る
   「ノンセクト」*・「ノンポリ」*という、大きく3つのグループに
   分かれたことになる。
   しかし、反対者に「体育会系」と「民青」が同居するというような
   「ねじれ現象」がすでにあったし、また、「ノンセクト」・「ノンポリ」も
   当然のこと、政治信条を同一にしているわけではなかった)





  そして、これは私たちの大学の、学生の特徴かもしれないが
  立てこもった学生も、外でその学生たちに罵声を飛ばす学生も
  ともに、大変大人しかった。そして、真ん中でスクラムを組み、
  ピケットラインを作った私たち*も大人しかった。



 ●そのうちに、大学の職員や、垂水近辺の下宿学生ではない、
  一般通学の学生も登校してきた。
  当時の学生部長だった伊賀隆*・教授がハンドマイクをもって
  「話せばわかる」みたいなことを、言ったと思う。外にいる連中にも
  中にいる連中にも、そう言ったのだと思う。

  小さな大学である。ハンドマイクで「伊賀ちゃん」(私たちは
  伊賀先生をそう呼んでいた)の声はみんなに聞こえた。

  そして、その日のうちにだったか、あるいは、二、三日してから
  だったか、バリケード*は解除され、何もなかったかのように、
  (事実、何もかったが)大学はもとに、静かなちっちゃな大学の
  普段の状態になった。


  もう、よくは覚えていない。書いたことにも記憶間違いがある
  かもしれない。


  「記憶はよく嘘をつく」は本当である。私は、私自身の文脈で
  そのように記憶しているにすぎない。
  しかし、逆に言えば、私にとっては、そのようにしか「記憶できない」
  ような出来事であったということだ。



  ●なぜ、いま、こんなことを書き始めたか。
   それは、きょう出かけて、摂津本山まで行き、東医院で胃の痛みを
   診てもらい、エビラファーマシーで薬をもらい、新甲南市場の
   叔父の店に寄り、そして三宮のジュンク堂で「本」をいっぱい
   買い、「私は、ほんとうに、何をずーっと考えているのだろう」
   と思ったからだ。


   買った「本」が多すぎて、せっかく調子がよかった胃が
   また痛くなった。

   おまけに、新甲南市場から住吉まで歩き、途中、生協の本部前を
   とおり、昔のよく知った仲間に出会ったり、コープツーリストに
   寄って、まだ残っている三万円の旅行ギフトを使ってしまう
   ために、JTBの観光パンフをもらってきたりした。


 ●妙法寺に着いてからも、コープ横尾でスイカを買い、家にもどった
  とき、私はヘトヘトに疲れていた。

  「私は何をしているのだろう。何を考えているのか」

  自分のことを、とほほほほ・・・、と思いながら、ほんとうに
  私は何を考えているのか、そのことを思った。


  その思ったことを書こうとしているのだが、まだ、そこまでいかないで
  もたもた、している。


 ●買った「本」は、そのことに関係する。
  私が何を考えているか。

  荷物があまりに重たかったので、10キロ痩せた自分の体重を
  測るための体重計に「本」を乗せてみた。
  ちょうど10キロあった。冊数と金額はめんどくさいので
  まだ「レシート日記」に貼り付けと記入をしていない。

  一冊だけ書いておけば、買った「本」に次のものがある。


  ・代表編集・鎌田慧*「新日本文学」の60年/七つ森書館
  



 
■案内
  ・日記/「Home」案内


 
■参照
  ・人生と文学と政治(1)
  ・人生と文学と政治(2)
  ・人生と文学と政治(3)
  ・人生と文学と政治(4)
  ・人生と文学と政治(5)
  ・人生と文学と政治(6)
  ・人生と文学と政治(7)
  ・人生と文学と政治(8)
  ・人生と文学と政治(9)
  ・人生と文学と政治(10)
  ・人生と文学と政治(11)



■参考
  ・「人生と文学と政治」資料


0 19

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する