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2006年06月18日21:17

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●身辺雑記(78)/■人生と文学と政治 (6)

■人生と文学と政治 (6)

 ― 井上陽水を聴きながら ―


 ●梅雨の中休み、昼間の陽射しの中で
  「井上陽水」を聴いていた。

  私はこんな時間がすきだ。
  心が自然と満たされていくのがわかる。

  「陽水の快楽」という「本」を
  「竹田青嗣」という「人」が書いている。

  「快楽」と書いて「けらく」と読む。

  不思議なことに
  「けらく」という仏語を教えてくれたのは
  「私の中の地獄」を書いた「武田泰淳」だった。


 ●きょう、昼間、井上陽水を聴きながら
  「日記」の手直しや、「コミュニティ」の追記をした。
  
  「人生と文学と政治」を書きながら、少しずつ
  時代と人々のつながりが見えるように感じる。

  それは、先人の歩んだ道と、私個人の歩みの
  たての時間の流れとして、
  また、私や私以外の、ミクシイや実際の人々のつながり 
  よこの広がりとして。


  静かに満ち足りてくるのを感じる。


 ●妻が帰ってくるまでの時間、これを書いている。

  きのう発注した、鷲田小彌太「昭和思想史」()()が届いた。
  
  人々の考えたこと、思ったこと、言説の歴史は
  事物の歴史とともに、「思想史」として残っている。

  それは、おおく「論争史」の形をとるが、これは
  人々がつならるための「試論」でもあるのだ。


 ●「哲学史」「思想史」「文学史」だけでは、狭すぎて
  言説の歴史と事物の歴史を重ね合わせ
  「社会史」や「社会思想史」、「文明史」や「自然科学史」、
  「経済史」や「経済学説史」まで広がるかもしれない。

  また、「概念」の歴史として、「ことば」や「パラダイム」も
  視野の中に入ってくるだろう。

  いや、「ことば」や「書かれたもの」だけでは狭きに失して
  柳田國男が指摘したように、「しぐさ」の歴史、「なみだ」や
  「ほほえみ」の歴史にまで広がるかもしれない。


  人びとは、どんなとき、泣き、喜んだのだろう。


 ●続きは、また書こう。

  もうすぐ、妻が帰ってくるだろう。



 
■案内
  ・日記/「Home」案内


 
■参照
  ・人生と文学と政治(1)
  ・人生と文学と政治(2)
  ・人生と文学と政治(3)
  ・人生と文学と政治(4)
  ・人生と文学と政治(5)
  ・人生と文学と政治(6)
  ・人生と文学と政治(7)
  ・人生と文学と政治(8)
  ・人生と文学と政治(9)
  ・人生と文学と政治(10)
  ・人生と文学と政治(11)



■参考
  ・「人生と文学と政治」資料

 
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