■人生と文学と政治 (6)
― 井上陽水を聴きながら ―
●梅雨の中休み、昼間の陽射しの中で
「
井上陽水」を聴いていた。
私はこんな時間がすきだ。
心が自然と満たされていくのがわかる。
「陽水の快楽」という「本」を
「
竹田青嗣」という「人」が書いている。
「快楽」と書いて「けらく」と読む。
不思議なことに
「けらく」という仏語を教えてくれたのは
「私の中の地獄」を書いた「
武田泰淳」だった。
●きょう、昼間、井上陽水を聴きながら
「日記」の手直しや、「コミュニティ」の追記をした。
「人生と文学と政治」を書きながら、少しずつ
時代と人々のつながりが見えるように感じる。
それは、先人の歩んだ道と、私個人の歩みの
たての時間の流れとして、
また、私や私以外の、ミクシイや実際の人々のつながり
よこの広がりとして。
静かに満ち足りてくるのを感じる。
●妻が帰ってくるまでの時間、これを書いている。
きのう発注した、
鷲田小彌太「昭和思想史」(
上)(
下)が届いた。
人々の考えたこと、思ったこと、言説の歴史は
事物の歴史とともに、「思想史」として残っている。
それは、おおく「論争史」の形をとるが、これは
人々がつならるための「試論」でもあるのだ。
●「哲学史」「思想史」「文学史」だけでは、狭すぎて
言説の歴史と事物の歴史を重ね合わせ
「社会史」や「社会思想史」、「文明史」や「自然科学史」、
「経済史」や「経済学説史」まで広がるかもしれない。
また、「
概念」の歴史として、「
ことば」や「
パラダイム」も
視野の中に入ってくるだろう。
いや、「ことば」や「書かれたもの」だけでは狭きに失して
柳田國男が指摘したように、「しぐさ」の歴史、「なみだ」や
「ほほえみ」の歴史にまで広がるかもしれない。
人びとは、どんなとき、泣き、喜んだのだろう。
●続きは、また書こう。
もうすぐ、妻が帰ってくるだろう。
■案内
・
日記/「Home」案内
■参照
・
人生と文学と政治(1)
・
人生と文学と政治(2)
・
人生と文学と政治(3)
・
人生と文学と政治(4)
・
人生と文学と政治(5)
・
人生と文学と政治(6)
・
人生と文学と政治(7)
・
人生と文学と政治(8)
・
人生と文学と政治(9)
・
人生と文学と政治(10)
・
人生と文学と政治(11)
■参考
・
「人生と文学と政治」資料
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