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2006年02月20日02:50

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●寄り道ついで (54)/■時代と作家

■芥川龍之介と宇野浩二と広津和郎

 ・広津和郎は芥川竜之介(龍之介)と、そう親しいわけではなかった。


  大正15年に芥川の「点鬼簿」という作品が発表された。
  これについて、自然主義の大家・徳田秋声が月評で「幼稚で
  間に合わせで、なってないもの」と酷評した。それで広津は

  「自分はあの作品を芥川君の小説として、無論非常に好い
   ものとは思わない。・・・けれども、あの小品の底に流れている
   陰鬱さは、芥川君としてめずらしいものであった。それは
   芥川君の最近の健康の衰えから来る、神経衰弱的なものかも
   知れない。それを神経衰弱のさせる業だと片付けてしまえば
   それまでだが、しかし、たといそれがそうであったとしても
   彼の最近のある心境――あのわびしい心境には、深く心を
   打たれずにはいられないのである」

  と反駁文を書いた。


  それがきっかけで、広津と芥川の交友、同時代の文士としての
  心の交流が始まった。


 ・いま読んでいる広津和郎の「あの時代」は、副題が「芥川と宇野」と
  なっている。広津は芥川よりひとつ年上で、宇野浩二と広津は
  同年で、ちょうど三人が三十六、七歳の「精神的にも、肉体的にも
  一つの危険期」で、「俗に言う中折れ時代で、生きていく気力を
  失い、一切の事に倦怠を感じ、もし肉体の上でも精神の上でも
  どこかに弱点があれば、そこから虚無と滅亡の感覚が忍び込み、
  それが全心全身に拡がり、うっかりすれば生命をも失ってしまう
  ような危機だったにちがいない」という時期に三人は生きていた。




 ・「明治から大正にかけて日本にも多少はあったと思われる
   一つの自由主義、その中で過ごしてきた私達の年代が、
   今まで見たものの行き詰まりを感じてきたことは確かであった」
  と広津が「あの時代」に書いているように、その当時、これまで
  アナーキズムもコミュニズムも一つの無産運動として一緒に
  まじりあって動いていたのに、それがはっきりと二つの陣営に
  分かれ、コミュニズムの攻勢が急に社会に目立ち、

  「今や、左翼文学として、在来の文学へも烈しい挑戦をしてきた
   時代」でもあった。


 ・「あの時代」は、そのような状況で、作家がどう時代と個人を
  生きてきたか、そのことを書いている。

  「文学と政治と人生」と昨日書いたが、時代の中で人がどう生きるか
  の問題である。

  「文学」と書いたが、「芸術」に書き換えてもいい。
  また、「人生」と書いたが、毎日の平凡な「暮らしと仕事」と
  書き換えてもいい。

  芥川がまだ生きていた大正末から、昭和の初めの頃の、その当時の
  文学上の瑣末な「できごと」ように見えているかも知れない。

  しかし、いまもその問題が解決しているとはいえない。
  単なる過去の文学史の問題でなく、現在の、現在ただいまに
  つらなっている日本の問題のように、少なくとも私には思える。
  



 ・きょうも、予定に達しなかった。 
  ゆっくり行こう。次第に、ひとつのことに流れは合流してくる。

  なにも急ぐことはない。


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