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2006年02月20日22:45

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●寄り道ついで (55)/■七文半の足袋

■芸術派と人生派

 ・精神を病んだ宇野浩二を、広津は宇野の奥さんと相談し、
  「入院」させようとする。斉藤茂吉の「青山脳病院」にと
  思っていたが、茂吉から別の病院を紹介され、そこに宇野を
  つれて行こうとする。


 ・このあたりを読むと、私は自分のことを思い出す。症状からは
  「躁」のように見える。広津は、宇野の泣きながら、「三日たったら
  入院する。今日何も騙まし討ちに押し込めなくって、好いじゃないか」
  という訴えで、「入院」させることに失敗する。


  それから3、4日後に、茂吉もついていって、無事入院させる
  ことができる。



 ・そのあとである。「あの時代」から引用されている「昭和文学の
  可能性」の文章を書き写してみる。



   精神の異常をきたした宇野浩二を無事入院させたあとで、
   芥川龍之介は「しかし、芸術家の一生として立派なものだと
   思ふね」と、突然ひとりごとのように呟いた。「もし、
   あのままになったとしても立派だよ。発狂は芸術家にとって
   恥じゃないからね。宇野もあれでいくところまで行ったという
   気がするよ」と、さらに語をついだ芥川龍之介の声音には、
   一種「羨望」にも近い響きがこめられていて、思わず広津和郎は
   驚いた。


   この衰ええた肉体の中で、この男は芸術家の最後とか、花の
   散りぎわというようなことを考えいるらしいと感じた。
   広津和郎は、「それもそうだが、僕はそれよりも宇野が
   あのままになったら、宇野の家族がどうなるかとそれを
   心配しているんだよ」と、反撥するようにこたえざるを
   得なかった。当時、宇野浩二は耳の遠い老母と細君と幼時に
   脳膜炎をわずらった兄との三人の家族と暮らしていたのである。



 ・「芸術派」と「人生派」の対立を浮き彫りにしているが、
  対立といっても、大正文学のそれは相対的なものであって、
  大正文学の一特徴は「美と倫理の統一」のイデー化であって、
  その点では広津和郎と芥川龍之介の間には巨視的な径庭はない
  といってもいい、と平野謙は書いている。




 ・そして、「あの時代」の中に、果たして自殺を計画していたか
  どうかはっきりはしないが、芥川が宇野浩二に親近感を抱き、
  広津ともども宇野浩二のことで心をくだいていた当時のことを
  「芥川龍之介」に関して、広津はこう書いている。



   ・・(芥川は)高飛車に構えて物を言おうとするポーズがなくなり、
   誰にでもやさしくしみじみとして親切になり、子供のように
   純真で素直に見えたのも、あれはみな死を前にしての彼の
   心持の現れだったのかと、その時は気づかなかったが、後になって
   私は思い返すのである。

   そして私は芥川君のこの子供らしいまでの純真さは、彼の
   心の本来の地なのではなかったかと思う。私は前に彼を
   「坐っていると四十男のように大人ぶっているが、立ち上がると
    七文半の子供の足袋を穿いている感じだ」と評したことが
   あるが、彼の知恵が年の割りにませたようないろいろのポーズを
   作らしたので、彼の心情は知恵に武装されたポーズとは逆で
   弱い子供のように余りに素直過ぎたために、生存に堪えられなく
   なったのではないかと思う。



 ・それにしても、広津も芥川も、二人がある点でそう違わず
  ともに「あの時代」の人生を理解しあえる同士として、これは
  「人生派」から「芸術派」へ捧げられた、深い深い哀悼のことばで
  あると思わずにはいられない。

   
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