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2024年02月01日10:35

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映画「シーナ&ロケッツ 鮎川誠〜ロックと家族の絆」

鮎川誠さんは、残念ながら昨年1月、74歳で亡くなられた。
「シーナ&ロケッツ」のギタリストとして、そして日本のロック草創期からずっと第一線で活動し続けてきたミュージシャンである。

実は、わたしはハードロックはあまり聴かないし、「シーナ&ロケッツ」も特段ファンではなく、レコードを買ったりライブに行ったりした経験はない。
でも福岡県民だと、この人は「地元出身ミュージシャン」としてつとに有名なうえ、ローカル企業のCMにちょくちょく出演して、みょうに親しみがあったのだ。

そんな彼と彼の家族をめぐる、TBSと福岡ローカル局RKBの共同制作ドキュメンタリー。

鮎川誠は1948年、福岡県久留米市生まれ。
父は米軍兵士だった。父はアメリカに帰国、母は日本に残って誠を育てることを選ぶ。

いわゆる「ハーフ」の整った顔立ちの少年時代。
やがて音楽に関心を持ち、ギターを弾いたり、バンドを組んだり。
彼の久留米の幼馴染が「僕の学年、中学が820人もいたけどマコちゃん(鮎川誠の愛称)、成績は首席だった」と語る(それにしても団塊世代だけに生徒数が多い)。

一浪して、難関の九州大学に入学。
入学式が終わってすぐ、もうバンドの演奏に出かけたという。福岡・中洲にあるダンスホールでギターを弾くようになる。

のちに妻となる悦子は、北九州・若松生まれ。音楽好きのあまり、あちこちのバンド演奏を聴きに家出を繰り返すほどだった。
ある日、中洲のダンスホールで、ギターを弾く鮎川誠に一目ぼれ。
朝まで音楽の話でふたりは盛り上がった。
なんと、翌日からふたりはもう一緒に暮らし始めたという。

誠は日本のロックの初期のバンドとして「サンハウス」を結成。東京には行かず、地元の福岡で活動。

誠と悦子は、悦子の若松の実家で暮らし、結婚。双子の女の子が生まれた。
そして悦子の父の「東京で勝負してみらんね?」の一言で、双子を悦子の両親に預け、上京を決意する(のちに双子たちも東京へ。さらに三人目の女の子にも恵まれる)。

サンハウスを解散したあと、誠は新たなバンドを作ったが、いいボーカルがいない。
すると悦子が「わたしも歌いたい」と言うではないか。
おばあちゃんの名をもらったという「シーナ&ロケッツ」の誕生だった。

「シーナ&ロケッツ」は、エルヴィス・コステロの前座で演奏した際、高橋幸宏が会場に来ており、その縁でYMOと同じレコード会社に移籍。
高橋幸宏プロデュースでアルバムを制作。
シングル曲「ユー メイ ドリーム」はスマッシュヒットとなった。

以来、彼らのバンド活動は長らく続く。
3児の母ながらパンクな髪型、タイトのミニスカートの衣装で激しく歌う「シーナ」。
三人の娘たちが両親を語るエピソードは暖かい。
「学校にも母はボディコン着てやってきてましたよ。かっこよかった!」

「生き方がロック、家庭でもロック」。
そう語る誠は愛妻家で、子煩悩。妻子を連れて下北沢を歩く映像がほほえましい。
のちに長女はモデル、次女はバンドのマネージャーとなる。

誠たちをとりまく人々の回想も、暖かさに満ちている。
甲本ヒロトは高校生の頃、家族にライブを見に行くことを禁じられ、なんとか会えないかと岡山のラジオ局に駆けつけ、偶然誠と出会い、励ましてもらったことを宝物のように話す。

九大で一学年下の上田恭一郎は、バンドのライブ録音を担った青春だった。
彼は後年、昆虫学者となり、北九州の博物館で館長を務める。

鮎川誠がロック好きでない人にも親しまれるのは、晩年まで、福岡弁でとつとつとしゃべり続けたからではないだろうか。
長身、イケメンのルックスなのに、あの独特ののんびりした方言は、どうしたっていい人にしか見えない。ギャップ萌えってやつですね。

音楽仲間を、家族を大事にし、慕われていた誠。
だが2015年、最愛の妻・シーナが病気でこの世を去ってしまう。
彼女はガンだとわかっても、ライブに出演し続けた。
シーナなきあとの「シーナ&ロケッツ」のボーカルは、三女の知慧子が務めた。

誠は若戸大橋のたもとにたたずむ。妻の故郷のこの場所が大好きなのだという。

70歳を超えても、3時間のライブをこなす誠。
そんな彼にも病魔が襲い、2022年5月、余命宣告される。
それでも予定のライブ演奏はずっと続け、23年1月に息を引き取った。

三人の娘たちの話からは、「ロックンロールな両親」への深い愛が伝わってくる。たしかにこんなカッコイイ親御さんなら自慢だろうなあ。

わたしには、昔の映像が懐かしく、特に鮎川一家が、地元の百貨店(のち、倒産して、伊勢丹の資本が入った)のCMに出たときの映像など、久しぶりに見ることが出来た。
多くのライブ映像は、大ファンのかたにはたまらないだろう。

鮎川誠は、いわゆる「大御所ミュージシャン」ではなかった。
武道館や東京ドームを満杯にする、なんてツアーをやるわけでもない。
TVドラマに俳優として出たりしてミュージシャンから役者に転向するわけでもない(堺雅人と親子役で共演した映画には出てましたが)。
基本、とにかくロックが好きで、それを死ぬまでやり続けた、ある意味あっぱれな人生だったと思う。

ナレーションは松重豊。福岡出身の彼もシーナ&ロケッツのファンだった。
数年前、誠と悦子をモデルにした、NHKのドラマが製作された時、悦子(石橋静河)の父親役を演じたのが松重豊だったなあ。

誠と悦子の人生を見てると「運命的な出会い」って、本当にあるんだな、と思ってしまうのだ。
(1月31日、中洲大洋劇場)
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