「閖上という漢字を、あの震災が切っ掛けで読めるようになりました
」
目を潤ませながら、そう告げると、
「(笑)、ここに来たみなさん、そうおっしゃるわよ
」と、笑顔で応えてくれた。
あれからもう11年。
「11年と6か月よ」
できる限り、震災遺構を訪ねている。気仙沼、女川、石巻、越前高田…
震災遺構に限らず、戦争遺構や多くの天災被災地を訪ねて、誰のせいでもなく不幸にも命を落としていった人たちへ祈りを捧げていく。
令和4年9月7日14時にここにいた。平穏な閖上港。
もし、平成23年3月11日14時46分にここにいたら、マグニチュード9.0の大地震に遭遇し、その66分後、この地を襲った4.8メートルの津波に飲まれていた。
たまたま、立ち寄ったその日に地震がこないだけのこと。
運命とは、いかに人の人生をもてあそぶものなのか。
閖上を襲った津波の高さを象徴したモニュメント。
この頂点が4.8メートル。想像することすらできない恐怖。
閖上の記憶祈念館で当時の映像を見た。
「10分ぐらい。辛い映像だけど大丈夫ですか?閖上中学の女子生徒が学校の屋上から撮影したんです」
きっと、誰だって涙を流す。毎年3月に行われている追悼式で飛ばされる希望の鳩風船。
民間営業とも伺っていたので、いくばくかのドネーションと記念品を買ってきた。
パネルには《閖上before&after》の写真。
「えっ、住宅街だったんですか?」
ここに着くまでの間、クルマのナビは道なき道を行き、哀しいぐらいゆとりある整地を見ながらやってきた。建っているものといえば、簡易なプレハブや倉庫ばかり。
そういえば、寺のない墓地が点在していたっけ。
閖上の町で970名余の犠牲者を出している。
スタッフのお母さんだって被災者なのに、強かったな。
初めて足跡をつける名取市
《熊野本宮社》
《熊野神社》
《熊野那智神社》
観光の教科書通り、熊野三社を参拝して、閖上の街を那智山から見下ろした。
少しだけ岩沼市に入って、まずは keiko casa に掲載されていたスタイリッシュな shine参拝。
《金蛇水神社》
見どころは令和7年に奉祝記念事業として完全完成する参道と荘園のアーキテクチャ
《外苑 Sando Terrace》(2020)
駐車場にも平日午後ながら多くの乗用車が並び、中には酔いどれの東北なまりのおっさん3人衆が、めっちゃくちゃな参拝方法を披露していた。
鳥居に拝礼しないのは当たり前で、賽銭投げて、ちょんと柏手打って頭をさげて、ハイおしまい。笑えたほど自由なおっさんたち。常識も通じない連中なのだろう、なまりがきつくて何を話しているかも通じない。
参道〜庭園〜広場〜山〜神社を結び、世俗と神域、人と自然をつなぐ。
設計者は齊藤和哉。宮城県出身の43歳。多分、彼の代表作。
金色にマルキンマークの御朱印帳。思わず手に入れた。これで第18集
神社参拝の1日。掉尾を飾るのは日本三大稲荷(自称)のひとつ。
《竹駒神社》
これで8ヶ所目の日本三大稲荷。
日本にあまたある三大稲荷、川オスベストは伏見稲荷大社。
そして密かに草戸稲荷神社を推している。
宮城祈りの一日もこれにておしまい。
お約束の牛タンは仙台駅牛たん通り
で《喜助》★2.
今夜決定。川オス牛たん通りベスト5
善治郎
利久
なし
なし
喜助・伊達の牛たん・焼助・伊勢屋
■きょう8日は満月前の月が土星に接近 10日は中秋の名月 翌日に月は木星に接近
(日本気象協会 - 09月08日 09:15)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=174&from=diary&id=7102816
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