昨日観た「プロミシング・ヤング・ウーマン」。
今年のアカデミー賞の主要部門にいくつかノミネートされ、脚本賞を受賞。
オスカー受賞作の名に恥じない見事な作品だと思いましたが、私は本作を「語り口」がどうの「演出」がどうのという、技術論で語りたくありません。
それくらい、重い衝撃を受けました。
本作には極めて印象的なシーンやエピソードがあり、いろいろと示唆に富んだ箇所もあるので語る内容には事欠かないのですが、私は敢えてタイトルバックにだけ触れたいと思います。
「酔った女をモノにする」ことが目的の男に精神的ダメージを喰らわせ、やさぐれた姿で歩く主人公・キャシーに、工事現場の男たちが野卑な声をかけます。
「ようネエちゃん、朝帰りか?」
「お盛んだな、ええ?」
「オレらにも一発ヤラセろよ!」
彼らにとってこれは「日常的に使う」フレンドリーな軽口です。悪気はありません。下品な連中ですが、朝っぱらから女性に襲いかかるような外道ではないのです。
そんな彼らにキャシーは答えず、ただじっと冷めた視線を返します。静かに、何も言わず。
すると男たちはいたたまれなくなり、ヒワイな薄笑いを消してキャシーを罵倒。
「何見てんだよ!」
「さっさと行けよ、このブスが!」
彼らはきっとキャシーの暗い鏡のような目を通して、そこに映った自分たちの下賎さと蒙昧さを見たのでしょう。しかし彼らはそれを認めたくないから、ただキャシーに空しい捨て台詞を投げつけるしかなかったのでしょう。
タイトルバックで描かれたこの件りが、作品の全てを象徴しているように、私には思えました。
今の社会の、どう考えてもフェアであるとは思えないようなことが当たり前に存在し、それが仮に実害をもたらすことがあってもなんとなくスルーされてしまう社会の異常さが、ここでは端的に示されています。
昔、私の職場に、飲み屋の女の子に入れ込んでしまった同僚がおりました。
彼は「あの子は絶対、オレに気がある」と自分で周囲に言いふらし、せっせと店に通っておりました。
「昨夜も他の客のところに行かないでずっとオレと話してた。オレに惚れてるからだ」
すっかり舞い上がっている様子でしたが、傍目にもそれが女の子の「営業」であることがよくわかります。そのことを皆が指摘したのですが彼は耳を貸しません。
結局、彼は振られました。すると突然、
「なんだあの女、くそブスのくせに!」。
それまで散々、すげえいい女だとか可愛いとか言ってたのに、振られたとたんにこの罵言。こちらは呆れて何も言えませんでした。
こういうの、特殊な例じゃないんです。
男社会、男のコミュニティではごく普通にあるエピソードです。
先述の同僚にとって、女性は品定めの対象であり、人形のように愛でるものであり、うまくすればヤラセてもらえる道具でした(私にもそういう側面がないとは言えません。恥ずかしいことですが)。
そんな連中の横行するこの世の中で女性が生きて行くことの苦しさは如何ばかりでしょう。
縁もゆかりもない男たちからルックスで品定めされ、ある人は「こいつと一発ヤリてえ」と言われ、ある人は「こんな奴とはカネもらってもヤリタくねえ」と言われる。
性暴力の被害に遭っても「自己責任」「油断したから」「自分から誘ったんだろ」「ホントは嬉しいくせに」と嘲られ、セカンドレイプの屈辱に晒される。
受験の成績は良かったけど、合格者が女子ばかりだと具合が悪いから、男子にはちょっとゲタ履かせるワ。キミ、今回は諦めてね!という理不尽。などなど。
「プロミシング・ヤング・ウーマン」に描かれているのはまさにそうした現在進行形の、クソみたいな現実です。
私達観客は本作をエンタテインメント作品として享受しつつ、そこを漏れなく汲み取り、咀嚼し、考えなければいけないと思います。
この世を本当の意味で生きやすい、安心・安全な社会に近づけるためにも。
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