訃報を知ったのは、小林邦明さんのツイートでだった。
一瞬言葉を失った。が、その後に「あぁ、とうとう逝ってしまったか。。。」というのが最初に浮かんだ悔やみの言葉です。
なぜなら、今から5年前に読んだ専門誌『G spirits』の彼の特集で、あまりにも痛々しい姿になってしまったことを知ってしまったから。
車椅子の身。だけではなく、こわばったように無表情で、インタビューにまともに答えられなくなってしまった姿はもはや廃人同様・・・
ショックでした。ステロイド(筋肉増強剤)の副作用なのか、それともそのあまりに激し過ぎるファイトスタイルが、ダメージを限界まで蓄積させてしまったのか。
そう、そのリングネームの通りの、小柄な体躯が千切れんばかりのエネルギッシュでハードな試合ぶりを、お茶の間のテレビの前に釘付けになり、手に汗握って観ていたプロレス少年が全国に何人いただろうか。(Twitterで見た限りは、天山選手もそのひとりなのを追悼ツイートで表明している。)
彼のキャリアは幾つもの時期を経ているから、それぞれに思い入れのある方がおられるでしょう。僕はやはり新聞記事の多くで紹介されているように、1980前半に初代タイガーマスクと熱戦を繰り広げた頃だ。
不世出の天才レスラーだった初代タイガー(佐山聡)。
あの頃の空前のプロレスブームを牽引したのは、猪木でも藤波でも長州でもハルクホーガンでもない。彼あってこそだ。しかし、スターやヒーローには強いライバルが存在しないと光らない。
デビュー戦こそ「花を持たせた」が、以降はその10倍返しだとばかりに苛烈な試合ぶりで幾度となくタイガーを追い詰めて、会場を、お茶の間をとことんヒートさせた。
(タイガーマスク、デビュー戦 1981年4月23日)
「キッドは殺すつもりで殴ってくる。一発一発に自分の命を懸けてくる。」(2013年「G spirits No.28」ダイナマイト・キッド特集号 佐山聡談)
訃報をツイートした小林さんが、彼に続くライバルだった。というのが余計に感慨深い。
佐山さんはこの号の取材で彼の近況を知って、こう語った。
「彼は過去の世界に生きていない。それは幸せということですよ。」
(引退直後に再会した佐山さんと。)
ミッキー・ローク主演の『レスラー』のように、なまじい身体が動くばかりに、いつまでも昔日のスポットライトを忘れられず、ずるずると現役を続けているレスラーがあまりに多い中、ああいう身になってようやく穏やかな余生を送ることが出来た彼の方が幸せだったのだろうか。だけどそれも、レスラー人生を「やり切った」代償だとすればいったい・・・
「俺が公の場に出るのは、これが最後になるだろう
体のことは後悔していない
全て自己責任だよ
みんなの幸せを願っている
自分のケアをしっかりしてくれ。」(前出「G spirits」より)
あの、切れ味満点のファイトを終生忘れることはない。
ありがとう。さようなら。そして安らかに。ダイナマイト。。。
タイガーと5度目の対決。
https://youtu.be/fdoqFTg32HI
これもよく憶えている(笑)サインボールを観客に全力投球する彼。
https://youtu.be/PSreg-7Aexg
NHKのニュースで報じられたのも驚き。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181205/k10011736261000.html
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