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2016年08月04日23:59

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いまだに得られない答え - 生死を選ぶのは許されるのか

私が事ある毎に言っているのは、本人が生きたいと言う希望を持ち、その為の財力があり、その為の医療技術があり、倫理に反しない場合を除き、生きる力を失った肉体を、人の浅知恵で生かし続けるのは如何な物かと言う事と、そして、これは長年考え続け、いまだに答えが得られないのだが、治療を施せば生き続けられる物を、生きたいと言う気持ちを持たないが為、治療をせずに死を選ぶ事、それは自殺なのか、倫理的、宗教的に許されるのか、いくら考えても分からない。

子供が居るからとか、まだやらなければならない事があるからなど、様々な理由で行き続けなければならない場合もあるとは思うが、長年苦しみながら生き続けるよりも、可能な範囲で好きな事をやって死んだ方が幸せなのではないかと思う事もある。

私は幼い頃から今迄12回、事故や病気で死にかけた経験があり、殺されそうになった経験もある。

死ぬ覚悟は出来散ると言うよりも、死は否応無くやって来ると知っているし、死ぬ瞬間がどのような物か、どのように感じるかも、だいたい分かっている。

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■人生をどう終えるのか 自然な最期を迎える「平穏死」とは?
(産経新聞 - 08月04日 14:09)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=133&from=diary&id=4127535

 日本人の平均寿命は、女性87.05歳、男性80.79歳で過去最高を更新したことが7月27日、厚生労働省から発表された。超高齢化社会が現実になりつつある現在、人生をどう終えるか、高齢者をどう支えるかは、誰にとっても避けて通れない問題だ。東京・世田谷にある特別養護老人ホーム「芦花ホーム」の常勤医、石飛幸三医師(80)は、介護現場の取り組みを通じて、穏やかな最期「平穏死」を迎えるために、家族も含めたサポートを行っている。

■経管栄養はしない

 閑静な住宅街にある芦花ホームは、2階まで吹き抜けで、曲線が多用されたモダンな内装だ。一般的な「老人ホーム」のイメージよりずいぶん明るい。1階の広い部屋では、入居者たちが椅子に座ってできる軽い運動をしている。ここで10年以上常勤医を務める石飛幸三医師が、穏やかな笑顔で出迎えてくれた。「静かでしょう。最近は事実上、(要介護度が)かなり高い人しか特養には入れないからね」

 芦花ホームは原則、胃にチューブを挿入して直接栄養を送る胃ろうをするなど無理な「延命」をせず、人生の最期を穏やかに看取る取り組みをしていることで有名だ。人生の最期のときを迎える人々は、徐々に栄養や水分を取らなくなり、眠るように穏やかに旅立つという。

■「管だらけ」になりたい?

 「僕がしていることは単純な話なんです。人生の途上にある人ならもちろん、病というピンチをなんとか乗り越える必要がある。そのために医師は全力を尽くします。でも、人生の終点に近づいた人に、自然の摂理を無視して、管だらけにする。それは大変な思いをさせる意味があるのか」

 高齢者は、物を飲み込む力が衰えることなどから、唾液や食物が気管に入ってしまうことが原因で起きる誤嚥(ごえん)性肺炎を起こすことが少なくない。すると、家族や施設職員は救急車を呼ぶ。運ばれた病院では必要な治療をし、場合によっては胃ろうなどの経管による栄養摂取をさせる。だが、胃ろうにしたからといって誤嚥性肺炎を起こさないとは限らない。無理に多くの栄養分を胃に送ると、それが逆流して気管に入り込むこともある。

 「何もわからなくなって、管につながれてまで、生きていたくはない」。そう思う人は多いが、家族のこととなると、そう簡単には割り切れない。配偶者や子供たちすらわからなくなったとしても、夫であり妻であり、親でもある。体にぬくもりがある限り、何とか生きていてほしいと思うからだ。

 石飛医師は言う。「入居者本人にとって、その措置が本当に意味のあることなのかどうか、ということを家族には率直に話す。もちろん家族で意見が分かれることもある。でも、いつかは判断しなければならないときが来るんです」

■缶ビールが飲めた

 芦花ホームでは、石飛医師のほか、看護師、理学療法士、管理栄養士らが毎朝ミーティングを開き、入居者1人1人の食事や水分摂取をはじめとするケアのあり方を共有している。

 あるとき60代で脳出血を起こし、その後は肺炎を繰り返して胃ろうをつけられた76歳の男性が入居してきたことがあった。

 男性の娘は「いつかこれが飲めるくらいに回復してくれたら」との思いを込めて、部屋の棚に父が好きだった小さな缶ビールを置いていた。男性は意思疎通ができる状態ではなかったが、その缶ビールを見ていたことに看護師が気づき、石飛医師は飲ませる判断をした。「誤嚥しないように、椅子をしっかり起こして缶ビールを渡すと、しっかり飲んで、むせることもなかった。ずっとビールが飲みたかったんだなあ。飲ませてあげられなくて申し訳なかった」と石飛医師。

 男性はその3カ月後、静かに亡くなった。娘は父が最後にビールを飲んだ日のことが忘れられない思い出になったという。「介護というのは、最後は体ではなく心のケア。人間としての尊厳を守ることが大切だと思う」

■人生を最後まで大切に

 「老衰」という言葉がある。石飛医師は、人生を全うした自然な死を「平穏死」と呼び、芦花ホームでの取り組みを通じて人生の終え方、介護と看取りのあり方に一石を投じている。7月、「『平穏死』を受け入れるレッスン」(誠文堂新光社)を出版した。

 「僕はここで入居者たちにたくさんの生きざまを見せてもらって、今を大切にすることを教わった。だからこれは、一回しかない人生を最後まで大切に生きよう、という本なんです。介護施設とは何のためにある施設なのか。それを多くの人にもう一度考えてほしい」
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