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2016年05月30日13:49

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編集長だから(その5)

「編集長、勝手に私の飲み物を頼まないでください」
 編集の女の子と二人で飲み屋に行った。あの頃、行きつけだった新宿七丁目のショットバーだった。私はウイスキーのダブルをストレート、彼女には同じものをソーダで割って頼んだ。
「じゃあ、キミは何を頼むつもりだったんだい」
「最初はビールで」
「それって、どういう意味があるの」
「意味とか、そういう問題じゃないですよねえ」
 意味とか、そういう問題なのだ。お酒を飲むというのは、お酒を飲む時間を演出するということであって、酔っぱらうという意味ではないのだ。何でもいい、と、そうした人がいる。そうした人は人生に興味がないのだ。
 私は、編集者と飲みに行くことが決まった時点から、仕事もそっちのけで、どこで何を食べ、そして、どこで何をどのように飲むのかについて考えているのだ。彼女が飲み屋で話をするその内容も予想してお酒を選んでいるのだ。
「とりあえずビール。三杯目にジンライム。私はそう決めているんです」
 だからキミの企画はつまらないのだ。そんな人は教科書でも作っていたほうがいいのだ。今夜のテーマは自分は将来、ライターになりたいのか、それとも編集長を目指すのか、それなのだ。そう彼女が言ったわけではない。そうした話になると私が推理したのだ。その演出にビールは似合わない。とりあえずビールという人にはクリエイティブな現場が似合わないのだ。自分を演出することをしない人だからだ。自分を演出出来ない人に他人は演出出来ない。
「編集長は何でも勝手に決めてしまうけど、どうしてですか、私たちには好きなものを食べたり飲んだりする権利もないんですか」
 ないのだ。何故なら、自分が食べたり飲んだりすることに明確な理由がないからなのだ。明確な理由があるなら、私はその演出に乗ってもいい。しかし、理由のないものには乗れないのだ。目的地があるから電車に乗るのだ。何となく電車が来たからそれに乗りましたとか、毎日同じ電車に乗っているので今日も乗ります、と、そんな人と旅行には出たくはないものだろう。そんな人と一緒に旅行に出るための電車には乗れない。
 昨日と同じ今日、今日も明日も同じという人は、平凡で平穏な生活の中でハムスターのように無目的な車輪を回せばいいのだ。
「私はストレートのウイスキーなんでね。あまりトイレに行かない。濃いのでおかわりの回数も少ない。キミはソーダで割っているので、トイレに行く。その間に自分の考えを整理することが出来る。しかし、ビールほど気楽でないので、ガブ飲みはしない。話に詰まったのをビールを飲んでごまかすことが出来ない。これ以外の演出はない」
「どうして、そんなこと」
 そうした演出をして、その中で存分に自分の話をしてもらう。相手が存分に自分の思いを遂げるための、その演出を勝手に決めてしまうのである。それは私が編集長だからなのだ。
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