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2015年10月04日20:17

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絶望と猫 5

「新見さん……どうしてここに?」
 自分にはまったくそんなつもりはなかったのだが、彼女には意地悪な口調に聞こえたらく「そんな言い方しなくても……心配だったから早退きさせてもらって来たの……」口をとがらせて僕の隣にしゃがむ。僕は空々しく、今度は意図して意地悪な口調で「心配…ね。僕が無事お使いできるかどうかが心配だったのかい?それともこの死んだ猫のことが?」彼女、真顔で「両方よ」と言った。僕は苦笑いするしかない。
 「住所はここで間違いないんだけど、見ての通り飼い主が住んでる様子もないし、仕方がないんで……ここに埋めようとしている」言い訳がましく、お伺いを立てるように、彼女に説明する。顔色を窺う――僕の選択した行為、彼女はどんな風に受け止める?彼女、短くきっぱりと「海布山(めやま)くんって、思ったより優しい人なのね」と、言った。薄闇だが、マジマジと僕を見ている気配がありあり。「思ったより」というフレーズがいまいちだが、総じて好評価だったようなのでよしとしよう。少し照れくさくもあり、無言のまま、スコップを握り直し、穴を掘る作業に戻る。
 「何か、あったかい飲み物買って来るね」「いやいいよ。もうすぐ終わるし」終わる――と僕は言ったが、実際どれほどの穴の深さが、猫を埋めるのに適切なのかわからない。従ってこの作業に正確な”終わり”など存在しない。しかし僕は多分――彼女が来るのを待っていた。きっとバイトが終わったら心配してここに来るだろうと、心の何処かで確信していた。彼女がここに来た時点で、僕の作業はある意味、”終わり”を迎えていたのかもしれない――そんな考えにぶち当たり、自分自身が嫌いになる――結局僕は、誰からも嫌われたくないだけなんだ。クールなふりして、実はただの小心者。
 「そう……」と短く言い、彼女は黙って、積み上げられていく土山の標高と、深みを増していく暗い穴の深度と、多分僕の手の動きのスピードとかを見守っている。僕は手を休めずに、スコップを穴の奥に突き立てながら、或る怖ろしい妄念にとらわれる――こんなにもこの人に嫌われたくないと思ってしまっている……もしかしたら”嫌われたくない”という感情、このままでは”好かれたい”に育ってしまう。”好かれたい”はきっと、”好き”ということなのだ。「優しい人」なんて言われて、実は心のなかで小躍りしていたのか?僕は……
 もう60cmくらいは掘っている。これ以上は手を伸ばしてもキツイ。このスコップを使って掘れるのはここまでだ。スコップをザッと地に刺し、よし――

「猫を……埋めよう」

 シュレシュティンガー猫の箱に手を伸ばす。箱を開ける。タオルに包まっている。両手でそっと抱え上げる。彼女が目を閉じ、手を合わせる。僕は横這いになり、猫の亡骸を穴の底に安置した。いや、安置しようとしたがどうも収まりが悪い。仕方なく両手を穴に差し入れ、猫の姿勢を丸めようともがく。大体猫というやつは、日がな一日丸まって過ごしている生き物なのだ。きっとこの姿勢のほうが死後も楽だろう。穴を覗き込み、手をギリギリに伸ばして、そっと力を込めると――
「ウッ……」
 猫の死体から、飛び出してきた血が、思い切眼に直撃した。穴から手を出して、中座する。
「きゃっ、顔に血が付いてるよ」僕は左眼を開けることが出来ず、苦しげに「済まないが、何か拭くものを貸してくれないか?」「……ハンカチでよければ」バッグから取り出し、差し出す。「ティッシュでいいんだけど……」「ごめんね。これしか無くて」「いや、君が謝るのはおかしいよ。それよりいいの?血が付いちゃうけど……」彼女、はにかんで「海布山くんって、変なところで気を使うよね。100均で買ったハンカチだから、気にしないで使って」「有難う、洗って返すから」小さく声を立てて笑って「ふふ、いいよ。あげる」
 僕は彼女のハンカチを瞼の周りに押し当て、血を拭った。返すのも失礼かと思い、持ち帰ったのだが、彼女のハンカチは100均のものではなく、女子に人気の某有名ブランドのものだった。

 一旦回想を止め、現実に戻る。
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