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2015年07月10日13:14

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その場所には熱があった(04)

 あのとき、筆者は貧しく、そして、酷く怯えていた。仕事上のトラブルと風俗店とのトラブルが重なり、仕事を失い、それどころか風俗業界で見かけたら殺すなどと脅されてもいたのだ。そうしたことは珍しいことではなかったが、トラブルが重なったのは、はじめてだった。いくつかの出版社は筆者とは関わりがないということにしてくれと言って来た。その上、その内のいくつかは、それまでにした仕事のギャラも振り込んでくれなかった。しかし、それを取り立てに行くことも出来なかった。脅されていたからだ。
 そのとき、筆者をかばってくれたのは、新宿のソープ嬢だった。トラブルは彼女の風俗上の友達のSMクラブ嬢を中心に起こったことだった。その女の子が何人かの風俗仲間と一緒にソープを止めてイメクラを作ったというのだが、これに入れ知恵したのが筆者だというのだ。確かに、イメクラを作るにあたっての相談は受けたが、筆者にはその見返りなどなかった。相談中にパンツひとつ覗かせてもらっていないのだ。ましてや、ソープを止めてイメクラを作ったほがいいというアドバイスなどしてはいなかった。
 そのことに同情した新宿のソープ嬢が自分の家にしばらく泊まっていてくれ、と、そう言ってくれたのだ。
 携帯電話などない頃の話だったので、いつでも連絡が取れるところに筆者を置いておく必要があったのだ。折り合いをみて、店の関係者と会わせるが、折り合いに気をつけなければ筆者の命は本当に危ない、と、彼女は言うのだった。
 もっとも、筆者のほうは、怯えながらも、やや呑気だった。人の命など、その程度のことで奪えるものではない、と、そう考えていたからだ。ただ、殺されなくても、殴られたりするのも嫌なので、少しは怯えていたのも、それも、また、事実だった。
 お金がない。やることがない。ソープ嬢は彼女ではないので、これに飯をたかるということも出来なかった。彼女は冷蔵庫にあるものを自由に食べて良いと言うのだが、冷蔵庫にあるものはアイスぐらいなのだ。スタイルを気にしていた彼女が食事をしていなかったからだ。彼女は店で食べる以外は食べない。必然的に筆者には手持ちのお金しかない。まるで減量中のボクサーのような生活だった。
 しかし、辛いのは空腹よりも退屈だった。部屋にはゲームはもちろんテレビさえないのだ。インターネットもない頃なのだ。 筆者は、一日中、窓から向かいのラブホテルを眺めていた。新大久保のどこかだった。細い路地の向かいにはラブホテルが並び、こちら側には木造住宅が並んでいた。
 誤解だということが分かるまでの、ほんの四日か五日のことだった。たったそれだけの間だったので、その場所は分からない。新大久保を歩いてみるのだが、それらしい場所が見つからない。彼女の部屋は木造二階建てのアパートの二階にあった。アパートの名前も向かいのラブホテルの名前も憶えていない。
 ラブホテルに入って行く様々なカップルを眺めながら、この路地のようなエロ雑誌を作りたい、と、筆者はそう考えていた。ラブホテルの中の様子ではなく、その前の路地、それを雑誌にしたいと筆者は考えていた。それがどんな雑誌だったのか、筆者にはそこまでの記憶がない。
 もし、あのアパートを見つけることが出来たら、その企画も思い出せるのではないだろうか、と、そう思ったのだが、ダメだった。見つからないのだ。それらしい路地さえ見つからないのだ。
 新大久保だと思い込んでいるだけで、もしかしたら、違うのかもしれない。一時間ほど新大久保を歩き、見つけることを諦めた。そもそも、新大久保そのものが、筆者の記憶しているものとはずいぶんと違っているのだから、見つからないのは当たり前かもしれない。
 そういえば、あの部屋の持ち主のソープ嬢の顔も名前も思い出せないのだ。あれは本当にあったことだったのか、それさえもが疑問に思えて来る。何しろ、新大久保が昭和の日本だった頃の話なのだから。
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