我が家の庭には何種類もの野草が生えている。
父は山歩きが好きな人だったので、密かに山から持って来た物であったり、母が持って来た物であったりする。
両親は名を知っているが、私には名も知れない草花だ。
昔、私の目線は上に向いていた。
私はSFが好きで、私の夢は、宇宙に旅立つ事、他の惑星や銀河に行って見たい、宇宙の果てに行って見たい、である。
或いは、異次元などに。
荒唐無稽とも言える。
そんな私にとって、草花など関心の対象外だった。
確かに、美しい花を見れば美しいと思うし、美しい景色を見れば美しいと思う。
標高の高い山へ行って、荒涼とした風景を見れば、まるで他の惑星みたいだと思ったりもする。
しかし、小学校の頃、スペースシャトルの試作機が飛び立ち、太陽系外に旅立つ途上にあったボイジャーが地球外の惑星の映像を送って来たのを見た影響で、天文少年になった私の関心は、飽くまでも宇宙にあった。
美しい草花を見るよりも、もっと見たい物や知りたい事がたくさんあった。
珍しい草木を見ても、ただ、へ〜、珍しいね、と思うだけだった。
草花を見るよりも、宇宙を見て考える事の方が大事だった。
つい先日の夜中、自宅に帰ろうと車を走らせていると、ある枝垂れ桜の樹が目に留まった。
この桜の樹の樹齢は知らない。
小さな、しかし歴史のある神社の敷地内にあり、私が小学生の頃は、ここのすぐ側が通学路だったので、昔から目にはしていた。
江戸時代は奥州街道の一部だった道路の側に立っているので、昔から何度も枝が大きく切り払われてきた樹だ。
で、桜がやっと咲き始めたばかりの先日の夜、この樹に咲いた花が目に留まった。
驚いた。
とても驚いた。
夜風に吹かれて揺れる桜花の、何と美しかった事か。
それまでは私は無関心だったその樹が、私に語りかけてきているように感じた。
まるで、長い間無沙汰をしていた古い友人が、昔と変わりなく微笑みかけてくれているようだった。
驚いた。
私が草花に示す関心といえば、これは食べられるのか、何らかの薬効を期待出来るのか、だけだったのに。
野草園などに行って喜んでいる人の感覚が分からなかったのに。
以来、どうした心境の変化か、周囲に存在する草花が美しく見えるようになった。
成長した為なのか、単に老いただけなのか、私にもやっと草花の美しさが分かるようになったのだろう。
それが良い事なのか、悪い事なのかは分からないが。
ここはひとつ、せっかく高性能のデジタルカメラを買ったのだから、どこかの山へ行って、写真でも撮って来ようかと思う。
そうすればまた、新しい発見もあるだろう。
※掲載した写真は、我が家の狭い敷地内に生えている花々です。
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