レーシング単車ミクのスタチューが届いた。

びっくり顔が愛らしい。

魅惑のプロポーション。

おしりおしりおしり。
「ヤングブラックジャック」を見て、ひさしぶりに本家『どろろ』を見返してみた。
原作に沿った13話までは何度も見ているので、14話以降のオリジナルエピソードを中心に見た。前半の重い展開が歓迎されなかったため、オリジナルは1話完結で妖怪をひとりづつ倒していく。つまらなくはないが、薄くて軽い。ドラマとしては前半に比べるべくもない。まあこれは当然か。もともと軽く楽しめるように路線変更したのだから。
百鬼丸が身障者ということを忘れていたはずだ。義手からは白刃が、義足からは劇薬が飛び出し、視覚と聴覚がなくてもテレパシーで事足りる。健常者以上だ。
ところで原作が水木しげるの大ヒットに影響を受けたという話は有名だ。作者本人が「キワモノ」と述べている。ドラマの重厚さとユニークなアイデアの数々はとてもキワモノといったレベルではない。なによりも影響されたというわりには、水木作品にまったく似ていない。「百鬼丸は鬼太郎のパクリ」などという人は地球上に存在しないだろう。どこが違うのか考えてみると、二人の天才の志向の違いがわかって興味深い。
鬼太郎の基本は民間伝承や民俗学である。妖怪は精霊あるいは異界の住人であって、必ずしも悪ではない。「どろろ」に登場する妖怪には「遠野物語」的な含蓄は欠けらもない。単なる怪物である。だから鬼太郎がしばしば使うような呪術的封印ではなく、物理攻撃で倒す。突いて斬って火をつけて退治する。そういえば冒頭の「望みと引き換えに、生まれてくる息子のパーツをやろう」というのは、日本的因縁話からかけ離れている。どちらかというと西洋由来の「悪魔との契約」を思わせる。
中世日本を舞台とした情念の残酷譚でも、手塚のバタ臭い洒落たセンスはしっかり生きている。それゆえ異彩を放つ力作になったのだと思う。
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