「バナナ」は別にヤらしくはないが、「バナナのようなもの」はちょびっとヤらしい。
この流れで「マンゴー」というと変態扱いされてしまう。
文章とは奥が深い。「――のようなもの」という言い回し、つまりは比喩表現、もっといえば直喩は、修辞技法の野太い幹だ。
「読み手が何を想像するか?」――何を想像させるかを、もっと意識して書かなければ、だ。
前後の文脈も大事だ。一例を挙げる。
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青空の下、緑の芝生の上に子どもたちがグループを作って座っている。今日は遠足、春うららか也。
小学校2年生のタカシ君は、カオリちゃんから、タコさんウインナーをもらいました。「ありがとう、お礼に僕のバナナを食べていいよ」
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上はイノセンスな児童のやり取りに過ぎず、イヤらしさは微塵もない。(上の文に対して、エロスを感じた方は、冒頭の流れに引きずられ過ぎか、治療が必要かどちらかです)
対して更に、一例をば――
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最上階のスイートルーム、望む夜景、ガラスの反射越しに彼女の動きを観察している。
と、彼女、グラスに赤を注ぎ、細い指、グラスに絡め、濃厚なルージュで、葡萄の色、口中に含む。そして僕を振り向かせ、くちづけ、口移し、僕は飲み干す。腰のクビレにしっかりと手を回し――この瞬間、彼女自身がロブマイヤーのようだった。
「ありがとう。お礼にバナナでもどうだい?」
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この場面では、バナナが何かの比喩であると想像することは容易い。
さらに言えば上の文では一言も”ワイン”と言っていないのだけれど、ワインに関連する単語”グラス””赤””葡萄””ロブマイヤー(高級ワイングラスのブランド名”などををこれでもかと連打しているので、自ずとワインをイメージし易い文章になっている。
ところで、どなたか、「僕のバナナを賞味してみませんか?」
今日、市場で買い求めたエクアドル産が、とてもいい熟れ具合だったので、おすそ分けに。
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