自分の自殺を考えたり、家族が自殺したりした人たちへのインタビュー。末井昭の書いたものが共感されるのは、彼が、自殺を考えるような人が好きだからだ。自殺って何?みたいな一般人や世間を「ろくでもない」と自然に思っているからだ。「死にたい」につなが
ゴーンがどうしたとかスマホ電波障害だとかSBが上場したとか、上っ面な出来事で窒息しそうなこの微温世界の本質を見なければと感じる。今何故中東なのか。安田純平と6人のジャーナリストのつぶやきは怒りに満ちていた。壇上からこっちを見つめる目は、戦場
日中戦争を官房機密費から読み解く。官房機密費(諜報費、広報費、接待費)の明細が残っていることに驚く。あの狂気の戦争に突き進んで行く前の、満州国をわが領土のごとく扱っていた印象しかない昭和初期に、領収書をとるという民主的手続きが意外にきちんと
猫のように今日と同じような明日を願う、旅嫌いな僕は、こういうのを読んで行ったような気になる。池澤の旅日記はテンションが高くなく、地理的な解説や私見が主で、旅先の人々との過剰な交流が書かれないので、好きだ。旅先でのハイテンションを押しつけられ
日本国土のどこに基地を置くかは事実上米軍の自由である有事の際には自衛隊は米軍の指揮下に入る在日米軍が日本の基地から他国攻撃に飛びたっても構わない矢部の一連の著作で、一定数の日本人がなんとなくそんなことだろうと思っていたことが、戦後の密約が(
明治維新から敗戦まで「天皇」を頂点とした「国体」は、戦後から現在まで「アメリカ」を頂点とした「国体」に替わった。根拠もなく無条件に頼れる相手として「天皇」が「アメリカ」に替わった。戦前は政治がそれを利用した。戦後は利用しているだけでなく、本
#243 甲斐よしひろ 愛のろくでなし4 at 国際フォーラムC にみる「ソロホールツアー」の終焉※このツアーがよかったと感じた方は不愉快かもしれないので注意※↓↓↓↓↓2011年、愛ろくスタート時のオープニング「エキセントリックアベニュー」は挑戦だった
息子を4歳で失くしたショックを忘れようと、あるいは立ち直ろうと、物語を紡ぐ小説家。そこでは誰もが小説家である。職業作家であろうがなかろうが、小説を書いているときは小説家であり、書いていないときは小説家ではない。主体が入れ子の小説が近頃多い。
世界は不可視なものの集積だ。生物として生きていくためには、見ない方がいい。見えない方がいい。しかし、見えてしまうものに目を覆うことは出来ない。聴こえてしまうものに耳を塞ぐことは出来ない。ウォーカーにとってのボルン。セシルにとてのボルン。「一
娘がみつけて出版したチェゲバラのバイクでの南米大陸横断日記。医師として一定の歓迎を受けながらの旅であり、放浪ではない。若者の旅日記の域を出ない。
「夜と霧」の精神医学者、フランクル。どんな状況にあっても人生には意味がある。あらゆる苦しみはその人特有のものだ。それは理屈としてはわかる。いつか、身体におちる日が来るのだろうか。
ページの左角を折り過ぎて、膨らんでしまった。自分の考えをここまで徹底的に「ほんとうか?」と突き詰めるの先には何があるのか?何もない。そうするしか出来ない者が、この世界にはいる。思考に妥協出来ない者たち。僕の疑問は、こんなにも自分の内面に問い
中村もSMか?中村だと思わずにある部分を読めば、団鬼六?もう、この虚無を見ないふりは出来ない。見ないふりが出来ればどれだけ幸福だろう。しかし、見ないふりをして来なかったし、やはり出来ないのだ。それが、中村の文学の意味なのだ。
日本が「負けた」ということを認めないから、アメリカは常に「負け続ける」こと、つまり占領状態を要求出来る。「負けていない」=「正しい戦争だった」とアジア侵略を正当化するからこそ、永久に「謝罪」を要求される。政治的にカタがついた話を蒸し返すなと
友人のまぶたを縫いつけたり、頭を撃たれた男が思い出を吐きだしたり、自分のあざが何かの酷いしるしであると恐怖したり、娘が亡くなっても誰にも言わずに冷静に埋めたり、馴れ馴れしいジョガーを殺したいと感じたり、奇妙な短編が並ぶ。最後に、ファウルを打
僕らの、SNS上でのアピールの甲斐あって(笑)、満員に近い盛況。帰り際に職員らしき人が、退場する僕らに礼を言っていた。それも、段取りでなく「礼を言いたいから言っている」感があり、好感が持てる。「レイン」という誰もが納得の最高傑作。初めて聴いて
隠れ家が密告され逮捕される直前に内省的になるのは偶然なのか?人前で見せない「ほんとうの自分」はすてきで立派で繊細すぎて人前にさらすことに堪えられない、そういう「ほんとうの自分」を持っていることを知られたくない、という告白。つまり、それを膨大
世界各国から作家や詩人が集まるIWP参加の日記。このひとの作品は以前少しまとめて読んだ。何故かわからなかったが、思い出した。たしか保坂和志が「いい」と言っていたからだ。なにかを書くときに、そこから派生する過去の出来事とか別の視点とか、ずらず
4歳半で、白血病で旅立った猫「チャーちゃん」20年前にチャーちゃんを題材に「生きる歓び」を書いた保坂は、チャーちゃんを失くしてから2年後に出会った三毛猫「花ちゃん」を18歳半で昨年看取った。「花ちゃん」は「チャーちゃん」が連れて来たと、どこ
金がないのでプレゼントを使いまわす高齢化著しい町。私は森で猫を拾い、年配の友人へリボンをかけてプレゼントする。猫がプレゼントに使われていないか心配で、猫に会うためにたびたび友人を訪ねる。そして自分用の猫を拾おうと森に行く。という短編など。「
「夜と霧」があまりに骨格だけの著書だったので、続けてヴィクトール・フランクルの思想解説を読んだ。「フランクルが人間を深く見つめることが出来のは「告発」から切れていたからだ」シベリアに抑留された経験のある詩人の石原吉郎の言葉だ。僕の感じ方と同
実家にあった気がするので、学生のときに霜山訳を読んだのだろう。ほぼ覚えていないので、フランクルも再編集の池田新訳を読んだ。文庫になってないのは何故なんだろう?驚くのは、ここには恨みつらみが一切書かれていないことだ。それは、そもそもそういう気
去年8月のNHKスペシャルのノベライズ。敗戦のどさくさに紛れて、軍幹部・政治家・官僚・占領軍がいかに利己的に振る舞ったか。戦中、国民をけしかけた連中がいかにくだらない連中だったか。占領軍(アメリカ)がいかに自国の利益しか考えていなかったのか
おわりに、にある疑問形の問題提起1「なぜ植松被告はこのような憎悪を自分の中に育ててしまったのか」2「何故遺族たちは氏名公表を頑なに拒んだのか」3「普段なら実名発表が原則のはずの県警がなぜ発表を控えたのか」たぶん、多くの日本人は既に答えを持って
96年12月、4年4か月で白血病で旅立った、チャーちゃん。99年5月に谷中墓地で出会った瀕死の子猫、花ちゃん。片目の三毛猫、花ちゃんは18年8か月生き、17年12月に旅立った。チャーちゃんが連れて来た花ちゃんは(後にチャーちゃんは花ちゃんに【入っていた】と
この事件は、黙殺されている。遺族が匿名を望み、通常狂ったように実名報道でスクラムを組むマスコミが、匿名ばかりか報道自体を控える。何故か。そういう世論だからだ。遺族が匿名を望むから真実に迫れないと言うのか?では、加害者である植松に取材し、報道
近未来、人間はセックスしなくなる。夫婦間のセックスは「近親相姦」と呼ばれ、昔の原始的な習慣と嫌われ、家族でない者との恋愛でセックスする者が、ごくわずかいる。妊娠はすべてが人工授精。男性は人工子宮を体外にぶらさげて妊娠する。性欲は後退するが、
「国境なき医師団」に、看護師として参加する。東京での快適な生活よりも、紛争地での活動を優先する。1度見てしまったら、見ないふりは出来ない。現地スタッフの苦労がわかるから断れない。何よりも、待っている難民がいる。2011年以来、「被災地ジャンキー
創誌上での植松聖への返答を読み、古本で手に入れた。普段は読みながら線を引いたりページを折ったりしないのだが、この本は折りだかけになった。自分がいかに何も知らないか、思い知らされる。水俣病の話だ。政府、自治体は、「本来これだけの補償があるべき
自分もその中にいることを棚上げして、日本人の内向ぶりを批判する、類か?鶴見はまったく読んでいないので少し読もうかと思ったが、最初の選択を間違ったか。対談に出てくる人物や作品が悉くマニアックで、ほとんど知らない。そこで高橋源一郎あたりを評価さ