過去の記憶を見ないふりをして、人は生きる。それでいいのか?現在が平穏ならばそれでいいのか?過去の記憶をすべて暴いたうえで、主人公はどうしたのか。それと向き合い、つきあっていくのか、去るのか。この話は、まるで、過去の記憶を締め出して薄氷の平和
ココイチのカレーを食ってからLiveに行くなんて・・(笑)。セットリストは変化なし。だが、やはりアコギの5メートル以内は無条件で素敵だ。風の中の火のように、これまででベストだった。それは甲斐のせいかオレのせいかわからない。「みんな温もりなげう
ばらしたい、ほどのネタはない(笑)。新曲を書かなくても構わない。今回はたまたま古い曲が多かっただけかもしれない。しかし、コンセプト「フォーク」っていうのが、まったくわからない。1曲目、「離鐘の音」って、いったい?ラストが「円舞曲」って?「アウ
「アンナ」と「氷」に反応しないように(笑)。氷に閉ざされて週末を迎えつつある世界。人々は怖れ合い、自閉する。氷は、自然の冷酷さ、人間の冷酷さ、の比喩だ。
この人の小説はまるっきり感じるところがない。(笑)が、「選考委員とはあなたの幻の小説を読む人だ」というのは、とても共感する。将来性、ではない。今この作品ではなく、ほんとうは何を書きたかったのか、思いがあるか、ということだろう。この人は「職業作
一昨日、Disc2のインタビューを観ていて気づいた。「らせん階段」をテーマとした、マキタスポーツ主演の「オヤジファイト」に関して。三島有紀子は、堕ちていくこと「こそ」人生だ、と確かに言っていた。これは、やはり、坂口安吾だろう。甲斐はそこは突
「自分の国は血を流してでも守れ」と叫ぶ人に訊きたい。平和ボケしているからこそ、言えるんじゃないのか?同じ考え方の雑文を読むのは、安心する。でも、これだけ平易に書くためには、かなりの知識があるのだろう、と思う。
ただ若い(と言っても20代じゃあない)女に振り回されているだけのことを、こういうふうに書けるんだな。いや、こういう心境になるために、振り回されているんだろうか。
以前近くに住んでいた頃、よく散歩した。人気のない、坂の多い、涼しげなところだ。「円山・花街・母の街」の作者は、森昌子の「おかあさん」の作者でもあり、自分の母を思いながらかいたらしい。三善英史の母の唄、ではないのだ。彼の母は芸者ではあったが、
反知性主義と言えば安倍晋三と橋下徹、というのは短絡に過ぎる。知性なき反知性はない、不寛容すらも寛容するのが真の知性だ、と。論理はそうだが、そこまで筋金入りの「知性主義者」は稀だし、行動でもそれを貫ける人を僕は知らない。知性主義は論理主義とも