終戦後、収容所から故郷トリノに帰還する困難の10か月。彼らを解放するロシア軍は「正しいものが他人の犯した罪を前にして感じる屈辱感」に満ちている。「自分の善意は無に等しく、世界の秩序を守るのに何の役にも立たなかった」からだ。「人間の正義がそれを
フランクルは、アウシュビッツにあっても「生きる意味」はあると書いた。「生きる意味」を見いだせないなら自由な生活のなかでも絶望するが、「生きる意味」を見いだせるならアウシュビッツにいても絶望しない、と書いた。生きる意味とは、収容所から見える青
現代アートのスター蔡國強と、いわきの千本桜の志賀忠重の物語。この手の、エネルギッシュで個として独立した人々しか出て来ないノンフクションは苦手だ。ふーんすごいね、としか言いようがない。そして宮崎駿と志賀を重ねる賛辞と「たった」2日で読んだ(350
事故で記憶が1日したもたない「こよみ」を「静かな雨」のように愛し続ける、先天的に足が悪く引きずって歩く「行助は(ゆきすけ)」。1日しか記憶がもたない不安と絶望はいかばかりか。思い出したくもない記憶であっても、記憶は僕らを支えると思う。記憶の原
人体欠視症。触れた部位から相手の身体が見えなくなる、という奇病。小川洋子の「注文の多い注文書」の1話に出てきて知った。つまり、身体を触れあう頻度の高い近しい者ほど見えなくなるという、人間の真実の比喩のような病。川端の絶筆で未完。誰かを凝視す