mixiユーザー(id:5348548)

2017年12月26日09:21

1334 view

「帰れぬ人びと」鷺沢萠(文藝春秋)

先般、復刊なった鷺沢萠氏の「ウェルカム・ホーム」を読み、そのとき改めて、彼女の文庫がほとんど絶版になってしまっている、という事実を知りわたしはかなりショックだった。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1964029771&owner_id=5348548

幸い、自分の蔵書にはまだ彼女の著作が残っている(それでも、手放した本もあって、それらは絶版。古本でさがすしかない)。
ひさしぶりに鷺沢氏のデビュー作「帰れぬ人びと」を取り出して読んでみた。

家を出た父が新しい妻と暮らす家へ、生活費をもらいに毎月通う少年が主人公の「川べりの道」、下町の定食屋で働く青年と、ふらりとやってきた少女の数奇な出会いの「かもめ家ものがたり」、メッキ工場のにおいが充満する下町で、ほぼボランティアで小学生に勉強を教えている男の、衰退する町への嫌悪と郷愁がまじった感情を描いた「朽ちる町」、そして芥川賞候補になった、父親の事業の失敗で、家族が受けた傷と、父を裏切った友人の娘へのやりきれない思いをかかえた男の屈託の「帰れぬ人びと」の短編4つが収められている。

「川べりの道」は、当時最年少で文学界新人賞を受賞。執筆した時、彼女はまだ高校生だった。深夜のファミレスで書いたという(のちに彼女は悪ぶって、「家で書いてたんじゃ、煙草が喫えませんから」と語っている)。

わたしも当時、「文学界」を買って「川べりの道」を読んだのだが、「本当に高校生でこれを書いたの!?」と驚いた記憶がある。文章も、物語の展開も完成度が高く、少年の達観したような言動や、とぼとぼと歩く川べりの道の描写が、感情をどこかで断ち切った者独特の悲しみをにじませていた。
うまい、というより中年の作家が書いたような、人生の哀歓を思わせる渋めの小説だった。
なぜ10代の若い女の子がこんな小説を書けるんだろう? 
そう思ったが、先日のmixi日記に書いたように、のちに鷺沢氏自身、父親の会社が倒産して裕福だった生活から一転、下町の住まいに引っ越し、アルバイトをしながら都立高校に通うという体験をしていたことがわかった。
一瞬のことで、あるはずのものがなくなる、今までの生活が暗転するー。
そういう世の不条理を、すっかり豊かになった日本社会で、彼女は身をもって体験していた。だからこそ「失われてしまったもの、取り返しのつかないもの」が作品のテーマに通底していた。

しかし、単行本「帰れぬ人びと」の奥付を見ると1989年11月1日に初版発行とある。まさに世はバブルまっさかり。
上智大生だった鷺沢氏はマスコミに「美人女子大生作家」ともてはやされた。
たぶん、作品とは別のところでつくられたそういう作家像に、鷺沢氏は強烈な嫌悪感があったのかもしれない。
大学は「ロシア語科の厳しい授業と小説執筆を両立できない」と中退し、ギャンブル好きを公言し、早い結婚をして、すぐに離婚してしまった。

さて収録作4編に共通するのは、「町の表情」が丹念に描かれている、ということ。
東京が舞台なのに、華やかな銀座や渋谷は登場せず、京浜急行沿いの蒲田や羽田、葛飾区とおぼしき下町など、たぶん鷺沢氏自身が暮らしたことのある町がモデルになっているのだと思う。
失意のうちに移り住んだであろう町に、彼女はインスパイアされ、作家としての原点となったのだ。

「川べりの道は遠かった。
実際には、さほど遠い距離ではなかったのかも知れない。しかし十五歳の吾郎には、ゴム底の運動靴の足の裏に感じられる尖った小石の感覚は、ある哀しさを伴って伝わった。
 やがて吾郎は、川の表情は季節ごとに変わるということを発見する。夏はそこら中に繁ってむせかえるような草の中に、都会育ちの吾郎はずっと以前に訪れたことのある母の郷里の田圃道の匂いを見つけた。冬は空気の冷たいせいか、くっきりと見える川向こうの工場街を眺めながら、吾郎は重たいオーバーコートのポケットの中で幾度も手を握りしめたり開いたりしながら川べりの道を歩いた。」(『川べりの道』6頁)

「長いこと地面の下を走っていた電車が、川の下を潜ったあとで地上に顔を出す。冷たい暗闇をつん裂いて車輛は叫び、火花を散らしながら駅から遠ざかっていった。まだまだ長い道のりを、あの電車は走らなければならない。・・・・
 
 路地の両脇にはひしめきあうように木造の小さな家々が並び、街灯もない幅狭な道の上に、ところどころ黄色い灯りを落としている。それらの家々には塀も門もない。路地に面して、いきなり戸口がついている。」(『朽ちる町』96−97頁)

もうひとつ不思議だったのが、書き手が若い女性だと主人公も同年代の女の子に設定しがちなのに、それがみな男性だったこと。
今にして思えば、いわゆる「女の子的なもの」、華やかで、かわいらしくて、屈託なくて、楽しいもの・・それらとは無縁になってしまったこそ、彼女は自然と「男」の目線で主人公に語らせたのでは、と思う。

鷺沢氏が自殺する5,6年前だったか、福岡で彼女のサイン会があった(当時の新刊の小説が福岡を舞台にしていたからだと思われる)。
わたしは仕事があって行けなかったが、わたしの愚兄は当時3歳の長男を連れて、サイン会がおこなわれた紀伊国屋書店福岡店に行き、「帰れぬ人びと」の単行本を差し出して「よかったらこちらにもサインをいただけますか?」とずうずうしく頼んだという。
鷺沢氏は「うわぁー! これ初版本ですよね?初版はたしか3千部ぐらいしか刷ってないんです。これを持っていてくださるなんて感激です!!」とひどく喜んでいたという。

しかし、この作品集はもう書店の店頭では買えない。
なぜこんないい作品が普通に読めなくなってるんだろう、と再読して哀しさがこみあげてきた。古本や図書館で探すしかないのだが、やはりちゃんと文庫に復刊してほしい、そう切に思う。

鷺沢さんの小説は、忘れられないでほしい、ずっと読み継がれてほしい。
失われたものは悲しいけれど、覚えている人がいる限り、なくならない。
それは彼女の小説のテーマと一緒だから。

※画像は単行本の「帰れぬ人々」。装画はなんと司修である。ネット検索すると、文庫本の表紙しか出てこない。
※右の画像は、「帰れぬ人々」の口絵写真。まだ初々しい鷺沢氏の姿。上智大学構内で撮影したと思われる。
4 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年12月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31