先週にフランク永井の歌うブルース曲を基本に紹介しました。連想ゲームのようですが当時にビクターからブルースを取り上げたアルバムが発売されています。これを紹介したいと思います。
先に、フランク永井のブルースとして「上海ブルース」をあげましたが、実はその2年前の1968年に「夜霧のブルース」を発売しビクター・ヒット賞を得ています。タイトルはいずれもフランク永井の先輩のディック・ミネ(テイチクの立役者)のヒット曲です。
ディックミネは淡谷のり子がブルースの女王というのであれば、その男性的代表といってもいい歌手です。ブルースはアメリカの歴史的な汚点でもあるアフリカ系黒人奴隷が発祥させたものです。差別と理不尽と過酷な労働環境から自然に自らを慰めんと歌になって出てきたものです。
いうまでもなく、その時代も今も人種や肌色に関係なく差別と貧困は存在し、多くの人びとは何らかの憂鬱を抱えています。万国共通ですね。歌は人びとの歓喜を表現しますが、多くは憂鬱と哀しみですね。時代の作詞家は人びとのその感情の表れを目ざとく見つけ詞にし、作曲家はメロディーにします。
どの歌手ならどう歌い表現するだろうか。聴いた人びとは自分が抱える憂鬱、哀しみと重ね合わせて受け止めます。青春だけでなく、大人になっても、老いても、誰にも人には知れない淋しさを抱えています。時代背景とも重なります。淡谷のり子やディック・ミネは多くの人から受け入れられました。
今回紹介するのは、フランク永井の「夜霧のブルース」に加えて、ビクターが発売したアルバムで「豪華ブルースの競演」(1972)、「都会の哀歓を唄う」(1976)です。
その時代、大手レコード会社のビクターはどのような曲をブルースとして推していたのかがよくわかると思います。見ればわかりますが、何をもってブルースと定義するのかは、話題にしても無駄なことが分かります。歌詞にまたメロディにブルーな雰囲気が入っていればそれがブルースだということなんですね。
■ブランク永井「夜霧のブルース」
夜霧のブルース、誰か夢なき、ゴンドラの唄、東京の屋根の下
無情の夢、君忘れじのブルース、新雪、裏町人生、湖畔の宿
在る雨の午後、カスバの女、星の流れに
■「豪華ブルースの競演」
盛り場ブルース(森進一)、長崎ブルース(青江三奈)
赤と黒のブルース(鶴田浩二)、有楽町で逢いましょう(フランク永井)
港町ブルース(森進一)、恍惚のブルース(青江三奈)
好きだった(鶴田浩二)、夜霧の第二国道(フランク永井)
波止場女のブルース(森進一)、無情のブルース(鶴田浩二)
伊勢佐木町ブルース(青江三奈)、加茂川ブルース(フランク永井)
■「都会の哀歓を唄う」
有楽町で逢いましょう(フランク永井)、誰よりも君を愛す(松尾和子)
赤と黒のブルース(鶴田浩二)、泣かないで(和田弘とマヒナスターズ)
池袋の夜(青江三奈)、ベッドで煙草を吸わないで(沢たまき)
グッド・ナイト(松尾和子)、東京ナイト・クラブ(フランク永井・松尾和子)
赤坂の夜は更けて(和田弘とマヒナスターズ)
新宿サタデー・ナイト(青江三奈)、好きだった(鶴田浩二)
雨(三善英史)、ウナ・セラ・ディ東京(和田弘とマヒナスターズ)
夜霧よ今夜もありがとう(フランク永井)
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