本日の朝日新聞で訃報を知りました。朝日新聞の小泉信一記者がお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りいたします。
私が東日本大震災の発生する少し前の2010年10月27日、フランク永井がお亡くなりになった日付で「フランク永井・魅惑の低音のすべて〜きらめく昭和歌謡を開いた栄光の全記録」(通称フランク永井データブック」を発刊したのですが、その後2011年の2月3日の朝日新聞の「ひと」欄で、出版した私の紹介をしていただきました。
この時に取材にわざわざ来られたのが朝日新聞の芸能文化部長をされていた小泉さんでした。肩書の正式名称は異なるかも知れませんが、大衆文化、芸能について、その歴史、文化、演者について大変詳細に把握されておられる方で、フランク永井のファンでもありました。
掲載直前に記事を見せていただきました。私の方ではただ一点、フランク永井が舞台を降りたいきさつについて、意見を言わせていただきました。それは、週刊誌などで公然と真実であるかのように報じられている自殺行為の理由について、ビクターも家族も一言も発していない中で一方的な主張で、そのままのニュアンスがでた書き方では正確でない。フランク永井が、1985年の30周年記念ラブのLPを聴いても感じる通り、思うような歌唱ができなくなり、のどの職業病と深刻にたたかっていて、彼独特の歌唱を命と大事にしていたので、そうした精神的な苦しみを持っていたことが、歌手として主要な理由であったことを指摘しました。
小泉さんは私のそうした意思にそった表現にして報じてくださったのを、いまでも思い出します。この記事での写真は私は大変気に入っています。この素晴らしいショットをされたのは遠藤真梨さんです。
忘れられないのは、この報道の直後の3月11日にかつてない大規模な東日本大震災が発生し、3月19、20日に予定していた第四回「フランク永井歌コンクール」が翌年への延期をやむなくされたことです。開催予定地の宮城県大崎市も大きな被害をこうむりました。
「フランク永井データブック」は発売してからすでに十余年経ちますが、データ部分は当時まで公式に世に出たフランク永井のレコードについて、完ぺきな記録を誇っています。その後に、発掘したデータもありますが、それは比較的にマイナーな、補足的なデータです。これらについては、データブック2として現在も整理中です。
データブックの記録を整備中に、さまざまな関係者にお会いしました。いまでも、最小限ですが情報の交換も続けております。
フランク永井の実姉の美根子さんは2020年2月にお亡くなりました。フランク永井の後年、長いリハビリを実姉とはいえ、一人で支えて来られました。弟を信頼し、最後を看取られました。データブックの内容は長い年月をかけて整理してきたもので、ほぼ完成していたのですが、全編がカラーで、かつ著作権の塊です。それゆえに出版はまず日の目をみない、つまりただのファンの自己満足だと思っていたのですが、出版のきっかけを作っていただいた方々がおられます。
それは、フランク永井歌コンクールを発起し奮闘しておられた大崎市の実行委員会の方です。当時フランク永井についてのメディアの封印は続いていたのですが、NHKがその封印を解く番組を作っておられて、大崎市の現地に飛んで取材をしておりました。現地小野寺さんがフランク永井の情報なら私にコンタクトをという紹介をしていただき、ディレクターの方とお会いして、話の流れでデータブックの出版のこととなり、それならダメもとでビクターに話だけはしてみたらと紹介していただきました。
NHK番組というのは2009年3月の「歌伝説フランク永井の世界」です。ディレクターは藤原さん。ビクターは吉田事務所の谷田さんです。ビクターは内容を評価してくださって、最終的に著作権使用料を私の払えるレベルまで抑えていただき、自費出版の形式で日の目を見ることになったといういきさつです。それで、ようやく、実姉の美根子さんに声援を贈れることになりました。美根子さんは大変喜ばれ、朝日の記事にあるように「私の知らない話もたくさん書かれた労作で、胸が熱くなりました」とおっしゃってくださいました。
独りでも黙々と看護を続けて来られた美根子さんの労をファンとして少しでもねぎらえたと思いました。小泉さんの訃報に接し、さまざまなことを思い出し、それを記させていただきました。
(実名を出させていただきました。感謝に堪えません。)
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