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2023年06月17日23:44

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この道を行くと月に着く

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道路標識にある通り、この道を3km北へ行くと「月」に着く。

我が家からこの標識のある地点迄は22km、車で35分程。
という事は、我が家から「月」へは25km、40分程で行けるという計算になる。
地球と月は38万km離れていると聞くが、我が家から近道で行くと意外に近い。

テクノバイパスを北上し、県道362号線に入って北東へどんどん行くと二俣街道(国道152号線)に出る。
そのまま北進すれば、鹿島橋で天竜川を渡り、すぐトンネルに入る。トンネルの名前は知らない。
トンネルのある山の上には鳥羽山城跡があり、トンネルを抜けて脇の山道へ入れば、徳川家康の長男信康が切腹した二俣城跡に行き着く事になる。
今回は脇道には入らず、二俣の街中を抜け、二俣川沿いに北へ上がる。
道なりに行くと船明(ふなぎら)ダムに出て、満々としたダム湖を左に見ながら更に北進すると船明隧道に吸い込まれるのだが、今回は隧道の直前で左へ、県道360号線に逸れる。
その道沿い右側に、冒頭の「月、3km」の道路標識がある。
二俣街道をそのまま行ってトンネルに入ってしまうと、この標識には巡り遭わない事になる。
「月」へ行けるかどうかは、このトンネルに入るか入らないか、それ次第で決まるのである。

青い標識のある道路の左側は、延々と続く船明ダム湖(=天竜川)である。
つい先日、台風3号が本州南を通り過ぎる迄大雨が降っていたため、水は土色に濁っている。木が倒れ、湖に浸かっている。
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道路の先には赤い橋がある。
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伊砂(いすか)橋と言って、これを渡ると天竜川の左岸に出る事となる。
蛇行する天竜川沿いの道を更に上がると、じきに「月」である。
浜松市天竜区月という、何とも単純で美しい地名だ。

浜松市営天龍ボート場月艇庫。住所は浜松市天竜区月969-1。
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船明ダムではカヤック等のボート大会が行われる。普段は穏やかな水面で、風や波が殆どない。
しかし、今年は6/2の豪雨で桟橋に被害が出たため、第19回ボートフェスティバルin天竜は中止となった。

艇庫のすぐ北を流れる細い谷沢川にかかる「月橋」(Tsuki Bridge)。
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橋の上から見たダム湖の眺望。
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右手を見ると三日月の形をした石碑があり、「月部落の由来」が掘り込まれている。
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これは2022年11/3、中日新聞朝刊の記事となったので、日記で紹介した。
 参)https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983638683&owner_id=3341406

記事と重複するが、この石板に書かれている要旨を以下に略記する。
〜〜〜
・この地に初めて住んだのは鈴木左京之進だと言われている。
・左京之進の祖先は源氏の末裔で紀州に住んでいた。
・左京之進は南朝方の楠木正成に仕え、命じられて後醍醐天皇の第4皇子 宗良親王に従い二俣城に入った。
・北朝方に敗れた左京之進は、家来12人を連れて、天竜川上流に逃れ、この地に辿り着いた。
・山地を開拓し再起を待ったが、そのチャンスは訪れず、左京之進らはここに永住する事になった。
・左京之進は思った、主 楠木正成公の心の清らかさは空にかかる月のようであった、ついては、公を思う我等の心を地名として残す事にしよう、と。
〜〜〜

これとは別の説として、
〜〜〜
我々は今13人、三日月のように細々としているが、やがては満月の如く発展していこう、そんな願いがこの地名となった、とも。
〜〜〜

この石板の山手奥に「月光山 海蔵寺」という臨済宗妙心寺派の寺がある。住所は浜松市天竜区月849。
下はその山門。
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中に入ると、石段が続き、上に鐘楼と本堂がある。
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本堂の脇の斜面にはたくさんの石像や古い墓らしきものがある。
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墓の後ろにある説明板。
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書かれている事はほぼ前掲の石板と同じだが、大事な事が加えられている。
〜〜〜
・海蔵寺の開基は鈴木左京之進本人である。
・左京之進は1392(明徳3)年1/18にこの地で死んだ、78歳だった。とすると、生年は1315(正和4)年という計算になる。
・戒名は「三党院殿源宗道本大居士」。
〜〜〜

並んでいる墓石(それぞれ形が違う、手前の3つは宝篋印塔か)の何れも、朽ち、苔生して誰の墓か分からない。
墓の右手にある小屋の内を見ると、石碑と石仏がある。
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真ん中の石碑を、目を凝らしてよくよく見ると、その表には戒名らしきものが6つ列記されている。そして墓石も前列にあるのは6つだ。
とすると、石碑に彫られた戒名と墓石は同じ順番で並んでいるに違いない。
石碑の右から4行目は何とか「源宗道本大居士」と読める。
墓の右から4番目(=左から3番目)のもの、それが鈴木左京之進の墓だと、私は見当をつけた。

真新しい墓は本堂の裏手に並んでいるが、鈴木姓の何と多い事!
左京之進から枝分かれした血筋の家が多く残っているのだろう。
ちなみに、2018年時点で、「月」の面積と人口は、4.6㎢、46世帯86人だとの事である。


このいたずらじみたレポートの発想は、言わずもがなだが、伊予原新の心に沁みる短編小説『月まで三キロ』にその根っこがある。
 参)https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983734280&owner_id=3341406
 
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