1952年の黒澤明監督作品「生きる」をカズオ・イシグロの脚本にてリメイク。舞台は1953年のロンドン、役所の市民課で働くウィリアムズ(ビル・ナイ)は、ガンに冒されていると医師から伝えられ、余命半年の診断を受ける。これまでは仕事一筋に生きてきたウィリアムズは自分自身を見つめ直し残された時間の意味を考える…。
いまと違ってガン宣告すなわち人生の終焉という時代。ひとは自分の余命が判ったとき、いかにして残りの時間を過ごすのかという命題に、観る側はウィリアムズに感情移入しながら答えを見いだしていく。そして国民の公僕たるウィリアムズが出したその解答は、いかにも英国紳士の矜持というべき抑制の効いた日々のふるまいだった。
日本人の特権ということか、ほとんどのレビュー・短評が黒澤作品との比較に終始。ただ私はそちらのほうを観ていないのでフラットな気持ちで向き合えた。余計な部分をできるだけそぎ落とした小品という第一印象。女性部下とのふれあい、公園建設にかかわる諸問題、その気になればいくらでもふくらませることができた物語だと思う。
なので日本映画を愛する人たちからの大ひんしゅくを覚悟で言えば、ここには小津安二郎作品がもたらす空気がどこか漂い、主人公はむしろ笠智衆のキャラに近いかもなんてことを思った。終始陰影におおわれたスクリーンのなか、けっして王室や上流階級のそれではなく、当時の公務員たちが交わす正統派の英語を心地よく感じた次第です。
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