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2022年07月06日02:00

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2分小説『悲しみを写すカメラ』

 ”悲しみを写すカメラ”を買った。メルカリで。意外に安かったから、そして、悲しみ――もしもそれが目に見えたらどんなだろうという好奇心。

「須らく、感情というものは透明であると、そう思っていたんだがな」

 箱も説明書も欠落している。古めかしいデザイン、だが一応デジカメ。
 本体の輪郭を指でなぞる。金属の冷たさ、大小さまざまな傷、ファインダーは無い。背面にチルト式のモニターがあるが、解像度が低く、色味も悪い。モニター中央にも一筋の傷。

「さっそく――」

 部屋の静物を写しては現物とモニターを交互に見比べる。劣化した現実の切り抜き。悲しみはどこ?見当たらない。

「騙された?」

 まぁ、そんなとこだろう。いや、進んで騙されたというべきか、こうなること、半ば確信犯的だった。カメラをしまおうとしてふと、画面に妙な歪みがあることに気付いた。

 邪魔にでかい熊のぬいぐるみ、もらいものの派手な花瓶、ファイヤーキングのマグカップ、ボタンをいじり写したものを確認していくと、そのどれもに透明な何かが写っている。空間を歪めている。輪郭は――よく分からない。この歪みはなんだろう?

 **********

 翌日、カメラを起動させ、昨日撮った画像を再確認する。

「うそだろ……」

 歪みが、明瞭になっている。輪郭はまだ不明瞭だが、何か人の形に見える。人の形――

「いや、そんなわけないだろう」

 だたのおんぼろカメラだこれは、画面の異常?それともデータの異常?ともかく現実を写実することを放棄し、僕にあらぬものを見せようとこのカメラ――意図してかそれとも偶然なのか?ひょっとしたら出品者の悪戯かもしれない。なんにせよ気味の良い話ではない。もう二度とこのカメラを起動することはない。段ボールにいれてどこかにしまおうとした瞬間――かしゃり、音がなった。

「ボタンに触れてしまったのか?」

 **********

 朝日が気怠い。3連休の最終日、特に何をするわけでもなく、何のイベントもないまま終わりそうだ。イベント、強いて言うなら、期間限定のカップ焼きそばを食って酷く落ち込んだことくらいか、それと例のカメラの一件。

「何を写したのだろうか?」

 今思えば僕は、この時点ですでに僕は、カメラに魅入られてしまっていた。”何が写った”ではなく、”何を写した”と自問することの異常、カメラに主体性を認めている異常。この3日間の出来事は、どこか現実と微妙にズレを生じさせている。

「見る……か?」

 熊がボタン状の目で頷いた。僕は緩慢にカメラを箱から取り出し起動する。昨日の”かしゃり”は、一体何を写したんだ?
 画面を覗くとそこには、海が写っていた。見たこともない海、でもいつか行きたいと思っていた景色、明らかにトロピカルな海だ。

「消し忘れたデータかなんかか?」

 段ボールに収まる過程で、こんなものが写るはずはない。凝視する。やはり画面には、透明な歪みがある。いや、もうこれは、”透明な歪み”なんかではない。はっきりと女性が写っている。会ったこともない女性、でもいつか、出会いたいと思っていた女性だ。
 画像を辿る。撮った順に戻っていく、静物、部屋の風景、ベランダ、すべてに同じ女性が写っている。微笑んでいたり、口を尖らせていたり、猫のようにくるくると、カメラに向かって見せる表情、それはどう見ても、恋人に向けたもの――恋人にしか見せない顔だ。

「誰だ?君は?」

 この部屋に――いるのか?

 確認する方法は?

 ある。

 つまり、今写真を撮ればいい。被写体は決まっている。被写体は、僕だ。ソファーに腰掛け、テーブルにカメラを置く。タイマーをセットして、虚ろにレンズを覗く――かしゃり。
 カメラを手に取る。確認するのが怖い。きっとそこには、おぞましい何かが写っている。僕の首を絞めている?蝋のような肌で僕に絡みついている?
 待てっ!そもそもこのカメラ、”悲しみを写すカメラ”だったはずだ。ならばきっと、悲しみの正体が写っているはずだ。透明で目には見えない感情、それが具象化して写っているに違いない、ならば見ずにはいられない。それがひょっとして、僕の死に関わることであっても。

「……」

 画面を覗くとそこには――飛び切りの笑顔で僕に抱き着く彼女とそして、満面の笑顔の僕が写っていた。

 しばらく画面を眺めていた。そして、ぽたぽたと涙が落ちた。
「これはきっと、僕が失ってしまった現実なんだ」
 目に見えない誰かが、この部屋にいる――そんな恐怖心は消えてしまった。いない、いないんだ!それは恐怖ではなく、まさに悲しみだ。僕が望んでいた現実は、この糞ぶっこわれたカメラの中にしかなくって、僕自身が実は、この世界に透明な歪みのような状態で存在している。

「本物だった」

 カメラは、本物だった。悲しみを写すカメラ。でももう僕には十分だ。
 メルカリに出品しよう。またどこかで、誰かの悲しみを写すがいい。お前はとても、残酷なカメラだな。
 レンズに涙が落ちて流れた。
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