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2021年08月19日19:04

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「想い」と「イマジン」( 石沢麻衣『貝に続く場所にて』&李琴峰『彼岸花が咲く島』を読む))

まだなお鬱陶しく続く「お盆梅雨」
そのおかげで連休の間に、今月の「文藝春秋」掲載の芥川賞作品2本を一気に(?)読了。

『貝に続く場所にて』は、コロナ禍によるロックダウンがようやく解けたドイツ中部の町ゲッティンゲンで留学生活を送る美術家志望の女性が主人公。
彼女は宮城県出身で、9年前の震災を体験しているだけでなく、大学で共に学んだ友人「野宮」を亡くしている(正確には「行方不明」だが)
他にも、難を逃れても彼女同様に心の痛手を抱えたままの学友が何人もいる。

そんな古傷を時折探るかのように想いを巡らせながら、はるか離れたドイツの街で日々を過ごしていると、そこになぜか野宮が何度も現れる。届くはずのない彼からのメールも届く。
彼だけでなく、野宮が傾倒していた寺田寅彦の姿も。実は彼もかつてこの街に留学していた。

淡々としたトーンで現実を越境する仕掛けは村上春樹っぽいし、ドイツ-日本を跨いだ言葉や文化へのヴィヴィットな観察眼は明らかに多和田葉子を思わせたりする(ゲッティンゲンの漢字名「月沈原」に拘ったり)、そのあたりの影響が素直に見て取れるのは新人作家らしさかも。

実は著者石沢氏は、主人公と同じ美術史を専攻されてるからなのか、時間も地理も自在に伸縮させ、想いを馳せる「遠近感」、内なる喪失の思いなどを縦横に書き現す詳密な文章力に目を見張るばかり。一行たりとも”書き流した“箇所がない、と思うくらいだ。ただ、もうちょっと“風通し”をよくしても・・・とは思った。決して晦渋ではないのだけど。

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レビュー評価は★★★★


『彼岸花が咲く島』の主人公は、とある島に漂着した記憶を失くした少女。
その島は、台湾に隣接する南西諸島のどこからしいが、沖縄とヤマトと中国が混淆した独自の言葉が喋られてるだけでなく、「ノロ」と呼ばれる女性たちが島の政治を司り、彼女たちの言葉は何故か標準語。それはどうやらノロであることの権利のようだ。しかしなぜ男ではないのか?

同じ年頃の2人の男女と仲良くなり、島の暮らしにも慣れた彼女はやがてその真相を知ることになる。

3人の活き活きとした描写がジュブナイル(少年少女もの)ロマンとしての面白味だけでなく、「ノロ」という沖縄に今もある巫女に近い女性導師。あるいは海の彼方の国「ニライカナイ」などの伝承を取り入れ、作者のオリジナル創作らしい「島ことば」のユニークさはクレオール(混血)文学のそれと言っていい。ここが台湾出身である著者ならではだと思った。

これも台湾らしいというか、自国の歴史を反映させた平和への希求が見て取れるのだけど、どうもそこにナイーブな甘さを露呈しているような気がしてならない。
選評でも「設定が斬新でも粗が目立つ」「これはマンヘイトではないか」という厳しい意見も見られただけに、よくぞ賞が獲れたものだと思う。
でも今までの芥川賞レビューでも述べたように、そもそもは新人賞であってそんな将来性を見込んでいるとすれば、それはそれで相応しくは思えるのですが。

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レビュー評価はちょっと奢って(笑)★★★★





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