昨日、ひと仕事終えてから、吉祥寺での「東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート」の先行上映最終日に駆けつけました。
ナレーションも字幕もなく、大仰で煽るような音楽もなく、静かに「国策によって滅ぼされていくコミュニティ」の姿を追った、優れたドキュメンタリーでした。
冒頭で、間もなく90歳を迎えるという高齢の女性が怒りを込めて語ります。
「今住んでる霞ヶ丘アパート、これができる前、ここには木造の住宅街があった。
それは戦後、戦災者や復員者のために作られた住宅だった。
昭和39年のオリンピックの時、『国立競技場の傍にこんなみすぼらしい住宅があっては目障りだ』と言われ、取り壊しになった。私達は追い出された。
それで作られたこのアパートに、私達は移り住むことになった。
ところが今度のオリンピック招致運動が始まると、石原慎太郎に『こんな汚いアパートは壊してしまえ』と言われた。
私達は2度も「汚い。壊せ」と言われて追い出されたんだ」
東京オリンピック2020の「本性」がこの女性の語りの中に如実に表われています。
「多様性」も「調和」も全部嘘っぱち。
欺瞞と虚勢と汚い金儲けに底支えされた、虚飾のスポーツイヴェント。
そんなものによって「終の住処」「高齢者たちの最後のコミュニティ」が無惨に破壊され、散って行く。
そんなことが許されていいのでしょうか。
ラスト近く、映画は一人の男性の引越しのプロセスを静かに追います。
男性は、右手がありません。左手も肩より上に上がりません。
そんな人が、誰の手伝いも得られず、荷物を段ボールに詰め、ガムテープで閉じ、階段を使って下ろし(エレベーターなどありませんから)、リヤカーに乗せて、近くの引越し先まで黙々と運んでいくのです。
彼の横を、近くの学校の野球部員たちが走って追い越していきます。
その光景がなんとも残酷なもののように、私には思えてなりませんでした。
国を挙げてのイヴェントに浮かれ、ヘラヘラと騒ぎ酔い痴れるのは勝手です。
しかしそのために、なぜ都営霞ヶ丘アパートの住人が踏みつけにされなければならないのでしょうか。なぜ彼らの静かで慎ましいコミュニティが犠牲にされなければならないのでしょうか。
その答えを、五輪開催賛成派の人々、五輪礼賛派の人々は持っているのか。甚だ疑問です。
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