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2021年07月27日23:25

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『透明な脚デ』

 子供靴に頭を押さえつけられた百足、竹のナイフで脚を切り落とされていた。4、5人の子供が囲いをつくり、囃しながらそれを眺めている。子供たちが飽きることを期待していた。百足にはそれだけが未来だった。しかし子供は、大人よりも残忍で、そのうえ無限に時間を持っている。飽くことなく百足の脚を、一本一本丹念に切り落としてゆく。
 彼の牙は、砂を噛んでいた。脚の断面から、透明な体液が流れた。涙腺を持たない彼の複眼に変わって、悲しみを液化させている。やがて100粒の涙が流れ、ようやく子供靴が退いた。声が遠ざかってゆく。日が暮れ、夕景、灰色の小石さえ、濁りきった溝の悪水さえ一様に茜に馴染む。
 百足は、透明な体液が、夕陽の熱で、血のように流れる演出を望んだが、鑑賞者たるべき子供たちはもう家路。
 百足は、すべての脚を失った百足は、それでも牙で地面を掴み、身をよじって前に進んだ。どこまでを一歩と呼ぶのかしらないが、一歩一歩、歩を進め、草むらに身を潜ませた時、百足は絶望した。野芹の陰に身を休めた途端、心の中を一瞬で埋め尽くした小さな安堵――死を免れたという錯誤が、彼には堪えられなかったらしい。もはや獲物に追いつくことはできないだろう。さりとて、死骸を求め、それを貪るほど、生きたいとは思わない。さりとて、死を受け入れる程、鼓動は弱まってはいない。生と死のどちらも選ぶこと能わず、ただ時間の中に存在している――死ぬより辛いのだ自分は。
 鈴虫が鳴き疲れる頃、仕方なく彼は、牙を使って歩く練習を始めた。生きることを選んだわけではない。ただ生きているという現実に沿うだけのこと。脚の断面はほとんど固まっている。心は沈黙しようとしているのに、魂が生を叫ぶ。ここまで進んできたのだ。脚が無くても進めたのだ。ならば練習して、もっと速くなればいい。そうすればきっと、前のように獲物を追える。子供の足にだって噛みついてやれる。ずるずると長い体、しなる牙、折れそうな勢い、前に進む体、這った跡に月が落ち込み、光の道をつくっている。百足は笑った。生きてやろうとは気負わない。が、ただ、生きているとういうことが、無性に可笑しくって。
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