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2021年07月01日00:32

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『九闘奇譚』 一人目 仕立て屋ペントロ

(彼奴を斃せば、自由の身になれる)
 黒く光る肌、そして黒く長い髪、ガルムと呼ばれる男、遥か南の地で奴隷となり、物好きな貴族に買い取られ、奴隷として仕えることとなったその日に、貴族の娘を犯し、貴族を縊殺したという――それ以外、何も知られていない。ガルム、魚醤のように黒く濡れたように光る肌のせいでそう名付けられた――という者もいるが、地獄の番犬の名から名付けらたという者もいる。間近にその姿を見て俺は、その名の由来をはっきりと知った。

 ガルムはもう3人、殺している――3人目に殺された男は、俺と同じ、ガリア養成所にいたらしい、が、それらしい男を思い出せない。スタイルも俺と同じトラキア闘士だったそうだ。左利きでシーカ(湾曲刀)を頭上高くに構え、パルム(小盾)を心臓の延長線上に突き出して構える――構え方まで俺と同じだ。同じ教練師に学んでいたのか?いや、そんなことはどうでもいい。大事なのは、奴の死に方だ。どういう風にガルムに敗れたのか。

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「ブレンヌスは不用意に近づき過ぎた」
「ブレンヌス?」
「3人目に殺された男だ」
「はぁ」
「ペントロ、明日お前はガルムと闘う。その前に、奴を斃す方法を授けておこう」
「トロウキッルス様、どうして私にそのようなご配慮を賜るのですか?」
「これ以上、ガルム敗れるようなことがあってはならん。これ以上、我がファミリアの闘士が敗れることがあれば、間違いなく儂は、ローマ市民達から無能な興行師の烙印を押されることとなる。第一にこれは処刑、そもそも奴は罪人。剣闘士ではない。だから武器も与えられておらん。両手は重い木の枷で戒められている。奴との試合は剣闘ではなく、処刑なのだ。であるのにだ。武器と盾を持ち、剣闘士としての訓練を積んだお前たち剣奴が、悉く奴に斃されていく。もう、負けるわけにはいかん。観客も奴の死を待ち望んでおる。ペントロ、陽の光で奴の眼を撃て!」
「眼を撃つ?」
「奴は暗い牢獄に長らく閉じ込められ、明るさに慣れておらん。そこへ更に、シーカの刀身で陽の光を反射させ、奴の眼を照らす。そうすれば、奴は盲目となるに等しい。後はただシーカの切っ先に、あの黒い肌の奥に埋まっておるであろう蚯蚓のような血管を引っ掛けてぷつり斬るだけ。どうだ?できるか?」
「出来ます。出来るはずです。ただ、もう少し情報が欲しいのです。教えてください。ブレンヌスという男がどのように斃されたのか」
「高く剣を掲げ、心臓の前に小盾を差し出し、じりじりと距離を詰めた。そして後5歩という間合いに達した時、あの獣は猛然とブレンヌスに突進した。ブレンヌスには5歩の距離だった。しかしガルムにはたったの2歩の距離、あの長い脚、そして伸びる腕――突進と同時に突き出され、ブレンヌスの兜を打ち据えた。どうなったと思う?」
「どうなったのですか?」
「兜が壁まで吹っ飛んだ。中味ごとな。血に飢えたローマ市民も、流石にこれには言葉一つ出せず静まりかえった。遠くで鳴く雲雀の声が、くっきりと聞こえるほどにな」
「5歩の間合い……」
「シーカを鏡のようにピカピカに磨いといてやる。それだけではない。明日、奴には更なる枷が加えられることとなる」
「更なる枷、ですか?」
「そうだ。いいか、陽を跳ね、眼を撃つんだぞ!そうして裏に回り込み、シーカで血管を引っ張り出すのだ。血管が何処に有るか分かっておるな?」
「勿論です。日々それだけを教練師から教わってきました」
「良い。では明日、頼むぞ。木剣が欲しかろう?」
「木剣……頂けるのですか?」
「ガルムを斃せば、そう取り計らう。自由の証ルディス、それを手に名誉と共にローマ市民となって暮らすのだペントロ、これはまたとない好機だぞ」

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 闘いが始まった。客席から、怒号が飛び交い、うわんわんと共鳴し、鼓膜を叩く、心臓を叩く。一陣風が吹き、乾いた土埃を巻き上げる。太陽が頭上にある。アポロンよ。我に与せよ!
 俺は息をゆっくりと吸い込み、シーカを高く掲げ揺らめかせた。遠く観客にまで陽が飛ぶ、撃たれた奴はきっと顔を顰めていることだろう。ゆらりゆらりと刀身の角度を変え、ガルムの眼を狙う。ガルム、大きな男だ。離れていてもすぐそばに立っているように見える。午後の光の中で、あの男の輪郭だけが黒々とまるで陽を拒む闇の塊のように立っている。光が、奴の顔を照らした。並みの男なれば、手で光を遮るか顔を背けることだろう。しかし奴の首に木の枷が嵌められている。更に脚には、大きな鉄球が鎖で繋がれている。あれでは身動きが取れまい。これは処刑だ。処刑なのだ。恐れることはない。このまま陽を当て続け奴に近づく、ただ不用意気に近づき過ぎない。あと5歩のところで俺は、猛然と駆け出し、奴の背後に回り、奴の膝の裏に埋もれている血管を引きずり出してやる。

 じりじりと近づく、奴の顔、その表情は黒い肌に埋もれ伺い知れないが、光を厭い眼を瞑っている。しめた!俺は計画通り、奴の背後に回り、シーカで膝を突き刺した。

 目の前に太陽がある。俺は、地面に倒れているらしい。頭は辛うじて首の上にあるようだが、体とちぐはぐの方向に捻じれているのが分かる。飛び掛かった瞬間、奴は体を捻り、脚を振り回した。鉄球が、俺の頬を撃った。多分そうだと思う。

 市民になったら俺は、仕立て屋になる。木剣を得た多くの剣奴は、訓練師か教練師になるものだが、俺は堅い職業に就く。仕立て屋は父の仕事だった。背を猫よりも丸め、枯れた細い指で針を摘まみ、ただただ布を縫う日々――そんな父の仕事を「奴隷と何が違うんだ」と否定し、家を出て、兵士となったのは一体何年前だ?故郷は焼かれ、家族の安否は知れない。父も母も妻も子も、きっとローマ兵に蹂躙され、殺されるか何処かで奴隷になっているのだろう。
 店の名前?それは決めてある。ルディスだ。店の奥の棚の上に、木剣を飾る。それを見つけた客が、眼を剥いて称賛するのを俺は制し、こういうのだ。
「昔の話ですよ」
 それが俺の未来。誇り高き父の仕事を継ぎ、今度は俺が家族を養う。今ならば分かる。父もきっと、何かと闘っていたのだ。
 でもこんな今にも取れそうな首じゃあ、仕立て屋はできそうもないな。妻や子――家族を探し出し、また一緒に暮らしことも……できそうに……ない。クロディア……我が娘よ。まず初めに、お前の余所行きの服を、父さんが縫ってやろう……

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 次回、2人目 魚兜闘士リスクス
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