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2020年10月28日20:14

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秋の大和路(その2)「志賀直哉旧居」「新薬師寺」

「正倉院展」を見終わったあとは新薬師寺、白毫寺を見行くことにした。
というのも恩田陸さんの長編小説「まひるの月を追いかけて」のラスト近くにここが登場し、主人公が異母兄の秘密に迫っていく重要な場面になっているのだ。
奈良には幾度となく来ているのに、ここはまだ訪問していない。
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グーグルマップで見ると少し歩かねばならないが、お天気もいいし、国立博物館から新薬師寺までは、近鉄奈良駅から博物館までの距離よりちょっと遠い程度だから大丈夫だろう。

ところが国立博物館の裏手を、鹿たち(春先に生まれた子鹿たちがいっぱいいて可愛い)を見やりながらのぼり、浮見堂の脇を通って向かっているうち、すぐ近くに「志賀直哉旧居」があるのが気になった。
わたしは文学少女ではなかったので、志賀直哉の小説って、少ししか読んでいないが、それでもわたしが10代の頃は「文学界の重鎮」みたいな扱いで教科書にも載っていた。高校の理科の先生は志賀直哉ファンで、息子に「直哉」と付けた、と言ってたほどである。

それでちょっと寄り道のつもりで入って見たら、これがなかなかにすばらしい日本家屋なのだ!

志賀直哉の書斎、客間、茶室、大広間と部屋数も多く、やはり日本家屋って落ち着くわ〜、と畳を踏みしめる(しかし、冬はすごく寒そうだ・・(;´∀`))。
二階に上がると、庭園の池も見下ろせる。窓が大きく、それが部屋を開放的に見せている。
この二階の部屋には、あの小林多喜二も泊まったんだとか。
志賀直哉が奈良市に住んでたなんて知らなかったが、ここに昭和4年から昭和13年まで暮らしていたのだという。それはやはり、「古都」の風物に惹かれて、ということだったらしい。
ここからなら、春日大社にもふらりと散歩に出掛けられる立地である。
いまはセミナーハウスとしても使用されている。

そして、静かな住宅街の中を歩いて、新薬師寺へ。道しるべになる看板があちこちにあるので、これなら迷わない。
入り口は閉まっていて「鹿が入らないように必ず閉めてください」という貼り紙が。
手で扉が開けられるようになっている。
東大寺や唐招提寺のような大きな寺ではないが、天平19年(747年)に聖武天皇の病気平癒を祈願して、光明皇后によって創建された。
本堂には本尊の薬師如来を取り囲むように「十二神将」が並び立つ。
それぞれが干支の守護神に該当するとのことで、寅年のわたしは「真達羅(シンダラ)」像の前で祈願。なにかと持病がある身なので、ここぞとばかりにお参り。ついでに(笑)、すぐ隣が丑年の守り神「招杜羅(ショウトラ)」なので、夫の分もお参りしました。

新薬師寺を出てすぐのところにおしゃれなカフェがあり、食事も出すそうなので、ここでお昼ご飯に。もう12時近い。レモンクリームのパスタをいただく。

さて、次は白毫寺。ススキが生い茂る空き地や住宅街を見ながらのんびり歩いて行くと、白毫寺の入り口が。「まひるの月を追いかけて」で出てきたように、本堂へ行くには少し急な石段を登らねばならい。

この項、さらに続きます。
画像左・志賀直哉旧居の二階の客間 右・新薬師寺
(10月26日)
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