mixiユーザー(id:189878)

2020年03月23日17:27

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信長公記に登場する打下城

新型コロナウイルスの影響でまたまたセミナーがなくなった日、近江高島の打下城(うちおろしじょう)へ登ってきました。山麓の日吉神社に登城口があり、登城口からちゃんと入ったのですが途中で藪の中に入る道を見落としてしまい、結局は迷って頂上まで直登することになりました。最近は地図ロイドという国土地理院の地図を閲覧するアプリをスマホに入れているため、頂上を見つけるのは完璧です。

ようやく北郭近くに出て小郭群を通って中郭などを見てきました。土塁や堀切などがよく残っており、山城では珍しく案内板が整備されていました。

■信長公記に出てくる山城
地元の国人領主だった林員清が永禄年間(1560年頃)に築城したと伝わる山城跡です。浅井長政が信長と敵対するようになった時、1572(元亀3)年に信長が林員清を降伏させ、信長公記によると元亀4(1573)年に織田軍が打下城を陣にして高島郡を攻撃したとあります。

1578年に津田信澄が大溝城を築城するまで軍事拠点にしたことから大溝古城とも呼ばれています。
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