出町柳駅前にあるのが名曲喫茶「柳月堂」。大きなスピーカーでクラシックが流れるお店で、学生時代、時たま行っておりました。当時は小川通にハイドン、銀閣寺近くにゲートという名曲喫茶がありました。柳月堂は1981年(昭和56年)に閉店となり、京都新聞など
如意岳城から銀閣寺に向かって山道を降りる途中に五山送り火の火床があります。いわゆる「大」の部分です。そうそう京都人の前で”大文字焼き”と言ってはいけません。「京都には”大文字焼き”なんて言葉は、あらしまへん」とバカにされます。言うなら”大文
そうだ、京都、行こう。銀閣寺の背後にあるのが大文字で有名な如意岳で、中尾城から尾根沿いの山道を30分ほど歩くとたどりつけます。中尾城からの山道を歩いている酔狂な人間はいませんが途中で銀閣寺の裏手から登る山道と合流すると、こちらはハイキング客で
そうだ、京都、行こう。土曜日といえばブラタモリ。近江アナウンサーから林田アナウンサーに代わり、第一弾は銀閣寺です。ブラタモリでは絶対に出てきませんが観光客で一杯の銀閣寺の裏手に山城があります。Googleマップでもバッチリ出てきます。観光客と人力
岸和田城のすぐ西側(海側)を走っているのが熊野街道。大坂と熊野(和歌山)を結ぶ街道で大坂ではマイドーム大阪のすぐ近くの中大江公園の横を熊野街道が走っています。この街道から少し海側に行ったところにあったのが防潮石垣です。岡部氏が岸和田城城主に
桶狭間の合戦の時、今川側の最前線だったのが鳴海城。織田信長は鳴海城対策のため周囲に丹下砦、善照寺砦、中嶋砦を築きました。この時、鳴海城を守っていたのが今川家家臣だった岡部元信。本貫は駿河国志太郡岡部郷です。桶狭間の合戦で今川義元が討ち取られ
高束城跡から石畳の道をずっと下ると初瀬ダムがあります。ここから初瀬川となり、やがて大和川になって大阪湾へ至ります。初瀬ダムから初瀬川沿いに下っていくと牡丹で有名な花の御寺である長谷寺があります。ふつうは近鉄の長谷寺駅から行くのですが、山側か
久しぶりに忍者の里・伊賀上野へ昔、西岡たかしの名曲「上野市(うえのまち)」で歌われたのが伊賀鉄道です。”桑町〜茅町〜広小路〜もう一つ揺られて上野市(うえのまち)”という伊賀鉄道の駅名が登場します。伊賀鉄道は江の島電鉄のように住宅街の間を通り
3月20日、All About「企業のIT活用」は16周年を迎えます。パチ、パチ!2002年3月20日に「企業のIT導入(今と名前が違っていました)」がオープン。コンシューマ向けが多いAll Aboutでは珍しくビジネス向けサイトでした。2002年といえばヨーロッパで通貨ユーロ
春日宮天皇妃陵から鳥見山を経由して山道をひたすら歩くと高束山・山頂に城跡があります。登山道の途中に高束城についての案内板があるので、場所はすぐに分かるのですが城へ登る道がない。仕方ないので山裾をまわって一番下の郭から何とか入りました。実は反
奈良の榛原駅から鳥見山へ向かう途中にあるのが春日宮天皇妃陵。春日宮天皇というのは天智天皇の王子だった志貴皇子のこと。里中満智子「天上の虹」にも登場します。権力闘争の宮中から離れ、歌人として文化的に生き、万葉集にも歌が採用されています。息子が
昨日は西ノ京で仕事だったので久しぶりに薬師寺へ寄ってきました。奥さんの実家が西ノ京なので、西ノ京自体へはよく行っているんですが薬師寺や唐招提寺はさっぱりですね。大阪人が身近な通天閣に登らないのと同じです。もっとも高所恐怖症という話もあります
JR東海道線に長岡京駅という駅があります。少し前までは神足(こうたり)駅という名前でした。地名の由来は「神様が来てくれた」という意味の「神至り(かむいたり)」と言われています。駅から少し行ったところに神足神社があります。神足神社には西岡36人衆
勝竜寺城といえば細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城として有名で、ここで新婚生活を過ごしました。場内には二人の銅像が建っています。戦国時代末期には三好三人衆が勝竜寺城を支配していました。織田信長の上洛で三好三人衆を追っ払った後は細川藤孝(幽斎)
大阪と京都の間にある隘路が山崎。現在も新幹線、JR、阪急、名神高速がすぐ近くを走っています。ここを舞台にしたのが秀吉と明智光秀がぶつかった山崎の合戦。明智光秀が本陣を置いたのが御坊塚と呼ばれる場所で、境野1号墳もしくは恵解山古墳(いげのやまこ
そうだ京都、行こう!嵐山と言えば、まずは電電宮、次は嵐山城でしょう!香西元長(こうざい もとなが)という戦国武将がいます。出身は讃岐国ですが、京都では細川氏の家臣となり山城国下郡守護代でした。この香西元長が築いたのが嵐山城です。管領細川政元
■バグ退散なら電電宮へインバウンドなど観光客であふれかえっているのが京都・嵐山。渡月橋の南側はそれほど混んでおらず、ここにあるのが法輪寺です。IT関係の仕事をしている人なら必ずお参りする電電宮が境内にあります。「電電宮」は電気・電波を守護す
八王子城に登ったあと高尾駅から八王子駅に戻り、次に目指すのが滝山城です。武田信玄の猛攻をしのいだことで有名な滝山城です。城の中は広大で同じ北条氏の城だった茅ヶ崎城とよく似ており、茅ケ崎城を大きくしたような感じの城です。きれいに整備されていて
知的生産の技術総会の後は中央線に乗って八王子へ出て宿泊。朝から高尾駅へ出て八王子城に登ってきました。豊臣秀吉の北条攻めで玉砕したのが伊豆の山中城と八王子城で悲惨な歴史の舞台となりました。八王子城の城主は北条氏照でしたが家臣団とともに小田原城
1969年に岩波書店から発売されたのが梅棹忠夫先生の「知的生産の技術」で、この本に触発され翌1970年に発足したのが知的生産の技術研究会です。社外勉強会の先駆けとなりました。東京以外に、いろいろと地方拠点があったのですが現在も続いているのが知研関西