五條駅から西に登った尾根の上に岡西山城があります。周囲は住宅団地として開発されていますが奇跡的に山城が残っています。けっこう技巧的な山城になっていますので筒井順慶と松永久秀が戦った永禄期に築城されたのでしょう。城主は在地の国人である大岡氏の
歓喜寺城は一城別郭(一つの城として運用しながら隣の山にも城がある)になっていて、もう一つ城があります。歓喜寺城へ向かう途中に「佛の穴50m」という手書き看板があり、この看板の裏側にある山道を登ると歓喜寺城の隣山に登ることができます。頂上付近に
織田信長が浅井長政と対峙していた時に、浅井長政側の高島郡の攻略をすすめます。そのために明智光秀に作らせたのが歓喜寺城。天台系寺院である歓喜寺があった所で僧坊跡に三カ所、思い切り深い堀切を使って城郭化されています。高島に攻め込むための兵員の駐
今日は大阪府よろず支援拠点の御用納めです。官公庁では「御用納め」を使い、会社関係では「仕事納め」という言い方をします。昭和の時代、御用納めといえば納会がセットでした。午前中は年末の事務処理と取引先などへ挨拶周りなどをして、午後から大掃除。15
今日は大阪産業創造館にある大阪府よろず支援拠点で土曜日の相談当番。大阪産業創造館の最寄り駅は堺筋本町駅なんですが駅のすぐ横に以前は帝人本社がありました。地下鉄からそのまま帝人ビルのエスカレータで地上まで上がれて便利だったんですが、今は階段し
クリスマスです。今年もあと1時間ほどでNORADによるサンタ追跡がはじまります。ノーラッド(NORAD)の正式名称は北アメリカ航空宇宙防衛司令部でアメリカ合衆国とカナダが共同で運営する統合防衛組織です。■サンタ追跡プロジェクトサンタ追跡プロジェクトが
大阪中心部にあるのが堺筋本町。いわゆる船場ですが繊維街はだいぶ衰退してしまって帝人本社跡地はタワーマンションに生まれ変わっています。堺筋本町にあるのが大阪国際ビル。1階には紀伊国屋書店が入っていて、よく利用していますというか、けっこうな金額
茨木で仕事でしたので、ついでに茨木神社へ寄ってきました。神社には茨木城の搦手門が移築されています。茨木城は摂津にあったお城ですが、現在は住宅地になってしまい殿町といった城にまつわる地名が残っています。遺構として残っているのは搦手門だけです。
早いもので、もう師走です。師走といえば忘年会ですがコロナ禍の影響で中止の連絡ばかり。結局、1回も開催せずに年を越しそうです。忘年会無しなんて、たぶん社会人になって初めてじゃないかなあ。飲食店は忘年会の自粛や時短営業のため、いつもの年のように
黒木西城を目指して尾根を登り頂上を目指しますが堀切などの遺構がない。おかしいなあ、確かにこの山のはずなんだが。しかし、どうも違う。結局、一山間違えておりました。せっかく登った山を降りるのは面倒なので尾根筋を歩いて、ひたすら隣の山を目指します
ひんがしの野に かぎろひの立つ見えて かへり見すれば月かたぶきぬ御存じ、万葉集に出てくる柿本人麻呂の和歌です。歌を詠んだ場所が阿騎野で、この写真の場所(かぎろひの丘)ではないかと言われています。昔から阿騎野では薬狩りが行われ、草壁皇子、
山城で案内板などがある所はほんの一握り。地元の人に聞いても知らないケースがほとんどです。そこでひたすら城の記録を検索し、先人が登った場所などを探します。あとは「近畿の城郭」などに縄張図などが掲載されていますので、これでどういう山かを把握して
織田信長より先に天下をとった三好長慶ですが後継者の息子に先立たれるなど晩年は不遇でした。三好長慶は永禄7年(1564年)に42歳で亡くなりました。この年、美濃では斎藤龍興を諫めるため竹中半兵衛が稲葉山城を乗っ取り斎藤龍興を半年ほど追い出す事件があ
野崎観音の裏手の山にあるのが野崎城。4つの郭で構成されていますが見晴台として郭が残っています。■兵を動かすには東高野街道しかなかった野崎城の目の前を通るのが東高野街道。今は大阪平野ですが江戸時代に大和川の付け替えが行われるまで深野池(ふこの
大阪は赤信号が点灯しているので自転車で行ける山城へ野崎観音から飯盛山城を登ってきました。元気なシニアの団体が3組ほど登っていました。城跡について石垣などを堪能。以前、ファイティング・コンサルタンツ研究会で野崎観音から登った時に遅れて参加した
信仰を捨てず海外追放されマニラで亡くなった戦国武将といえば高山右近が有名ですが、もう一人います。それが内藤如安(ジョアン)。丹波・八木城で生まれました。守護代だった内藤家の名跡を継いだのが松永久秀の弟である松永長頼(内藤宗勝)で、この息子が
丹後の守護代だったのが内藤氏。八木城の麓にあるのが屋敷群で削平地がたくさん残っていて現地の説明には屋敷群とありました。守護代屋敷は山の上にあったようです。■守護代室町幕府では守護は都に在住することが基本でしたので、領国の経営は守護代にまかせ
八上城は大きな山城で東西南北に伸びる四方の尾根に支城があります。主郭から尾根道を歩いて鞍部を越えていくと烏嶽という場所があり、こちらにも郭が拡がっています。こんな所を歩いている人は誰もおりません(笑)。郭には石垣跡が残っており、大きな堀切で
丹波三大山城のひとつが八木城です。ハイキングコースになっているので5人ほどのハイカーはいましたが皆さん眺めを求めて登っており、城を目当てで登っている人は皆無ですねえ。有名な山城なのに足利尊氏から恩賞をもらい八木の地をおさめたのが内藤氏です。
大阪商工会議所・北支部で「Webを活用して販売促進、お金の管理」というタイトルでセミナーをしてきました。最近はオンラインセミナーばかりで対面型セミナーは久しぶりです。12月になったらコロナもおさまっているだろうと4ケ月ほど前に事務局で企画が始ま
清水山城は三方の尾根上に郭が続く広大な山城ですが、それ以上にすごいのが麓の高台にある屋敷跡。いわゆる根小屋なんですが、これがめちゃくちゃ規模が大きく谷を挟んで西屋敷と東屋敷があります。大きさは南北約350m×東西約550mで東京ドームでいうと4個
近江高島にある清水山城、信長公記に登場する「木戸の城」がこの清水山城と考えられています。大きな城で主郭までたどりつくのが大変。途中でギャーギャー騒いでいる声が聞こえ、何事かと思ったら野生の猿が走り回っていました。ようやく主郭までたどりつくと
日爪城の麓にあるのが南谷遺跡。いくつもの段になった平坦地があり「ねごや」という地名がついています。■根小屋とは根小屋とは”山の根にある寝るための小屋”という意味で全国各地に「根小屋」という地名があります。山城の麓にあることが多く、城主や家臣
日爪城は近江高島にある山城で主郭からは琵琶湖が眺められます。東郭群と主郭の2つに分かれていて郭の間を長い土橋が結ぶ独特の山城になっています。地元の人がよく整備していて看板もバッチリある稀有な山城です。このあたりは木津荘という山門領(比叡山)
大阪産業創造館からマイドーム大阪へ行く最短経路が本町橋北側にある阪神高速の本町出口の橋を渡ってシティプラザ大阪を突っ切っていくルートです。高速道路が一般道に入るところにある橋なので本来は自動車専用ですが、そこは大阪人ですから関係なしに渡るた
近江の山城に登ろうと街中を歩くと必ず目にするのが「飛び出し坊や」。ドライバーに飛び出しを注意喚起するためのもので元々は八日市市(現在の東近江市)で生まれました。八日市といえば天秤棒一本で全国を巡った近江商人の故郷です。これが全国に拡がりまし
LECの講座が夕方までだったのでホワイティ梅田にあるヨネヤへ。赤垣屋は、あいかわらずの「密」状態で敬遠。ヨネヤの立ち飲みカウンターに立ち寄ると、まずは従業員が検温と手のアルコール消毒。串カツ名物のソースとキャベツ(カウンターに置いてあるのを好
今日は「勤労感謝の日」。三連休だというのに、せっせと働いております。LEC梅田で中小企業診断士講座の経営情報システムを担当しており、担当分は本日で終わり。経営情報システムはCRMやらSCMなどの3文字熟語が多い科目です。特にインターネットのプロトコル
古代、阿騎野(あきの)は薬狩り(薬草摘み)する土地で、片岡鶴太郎さんが出ている救心製薬のCMに薬狩りの絵が出てきます。南北朝時代は秋山氏が支配し、宇陀には他に澤氏、芳野氏がおり宇陀三将と呼ばれていました。秋山氏は松永久秀と組んでいましたが豊臣
宇陀三将の一人である秋山氏が居城として築いたのが最初で当時は秋山城と呼ばれていました。豊臣政権となってから城主がいろいろと変わり山城から近代的な城郭へと改修されていきます。関ケ原の戦いの後、福島正則の弟である福島高晴が城主となりましたが、大