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2020年01月30日10:03

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「ゴッホ展」(兵庫県立美術館・神戸市中央区)

昨秋、東京で開催され、関西での巡回が待たれていたゴッホ展。
ようやく見ることが出来ます。
JR三ノ宮駅から阪神電車を乗り継いで岩屋駅で降りて、兵庫県立美術館へ。

10時の開館前に到着しましたが、すでに行列が。
ただ館内は、平日と言うこともあってか、観覧客は多いものの、「人の頭ごしに見なければならない」というほどの混雑ではありませんでしたし、ほとんどゆっくりと鑑賞できました。

ゴッホは1853年オランダ生まれ。つまり「黒船来航」の年。
日本で言う幕末生まれである。
1880年、27歳の時、画家を志し、独学で絵を学び始め、敬愛する画家・ミレーの模写をし「農民画家」にあこがれた。翌年、縁戚関係(ゴッホのいとこの夫)にあったアントン・マウフェに指導を仰ぐ。
マウフェはハーグ派と呼ばれる画家で、ゴッホもハーグに移住してほかのヨゼフ・イスラエルやマリス兄弟といった画家たちと交流。
彼らは街の近辺で出会う身近な風景を描いており、細部でなく印象を重視した手法をゴッホは身につけた。
初期のゴッホのデッサン画の、ミレーの働く農民を模したものや、疲れ果てて頭を垂れ、椅子に座り込む人物画は、画家として生きようとする決意や、新たな世界へ足を踏み入れていくことへの不安のようなものさえ感じ取れる。そしてどこか、初々しい。

ハーグ派は「オランダのバルビゾン派」とも言え、その色調から「灰色派」の名称も。
ちなみに、一番最初に日本に入ってきた西洋美術はハーグ派だったが、薩摩閥の黒田清輝や藤島武二が画壇を支配しており、結局、日本美術界はイタリア、フランスのものが主流になって行く。

1884年からゴッホは、本格的に油絵に取り組むが、暗いトーンのものが多い。
ミレーのような農民画家を目指していただけに、農作業にいそしむ人物画、地元の農民の肖像画を制作。人生が刻まれたような老婆の肖像画などは、味わい深い。
「器と洋梨のある静物」は、暗い背景のなかに浮かび上がってくる沢山の洋梨が見る者の目を引き付ける。
もっとも静物画を描いたのは、モデルにした村の娘を妊娠させたという疑いをかけられて、地元の人をモデルにできなくなったからなんだとか(;´∀`)。オランダでは少数派のカトリック教徒が多い地域だったことも一因と言われる。

1886年、ゴッホは弟・テオを頼って、突然パリに出てくる。
ここからゴッホの画家人生の新たなフェイズが始まる。

モンティセリ(1824年マルセイユ生まれ)も彼に大きな影響を与え、モンティセリの「厚塗り」の画風をゴッホは継承し、その後ゴッホなりに厚塗りを消化していく。
そして印象派の画家たちの作品にも衝撃を受け、「筆触分割」のタッチを知り(ゴッホは最後の第8回印象派展を見ている)、日本の浮世絵の影響と共に、明るい色調の作品へと変化していった。

1888年からはアルルに移り住み、穏やかな田園風景を作品に仕上げている。
本展覧会場でも、麦畑、家庭菜園、川べりの木立といった風景画を展示。
ゴッホのおだやかな気持ちが伝わってくるようである。
ここはまるで日本のようです、というゴッホの手紙が残されている。
浮世絵を通して日本に抱いていた憧憬はいわばファンタジーなのだが。

その後、ゴーギャンとの共同生活をするも、「耳切り事件」を引き起こして、ゴッホはサン=レミの精神病院へ。
療養中に描いた糸杉の絵は、ゴッホ作品を象徴する「ゆがみ」と「うねり」が顕著だ。観覧者の足を留めさせる迫力に満ちている。
しかし自殺する少し前に描かれたバラやポピー畑の絵は、どこか静けさがただよい、ゴッホだけにしか見えない何かがそこにあるかのようだった。

なによりわたしは、初期のゴッホ作品がたくさん見られたことが収穫だった。
ゴッホがゴッホという画家になっていく過程がよくわかる展覧会である。
彼と交流し、影響を与えた画家たちの絵画も多数展示されており、ゴッホと共にモネ、セザンヌ、ルノワール、ピサロ、シスレー、シニャック作品もいっしょに見られて、お得感もあります(*^^*)

帰りは、駅に行く途中の坂道の居酒屋さんがランチをやっており、「ゴッホ展の半券で50円引き」の看板を見て昼食はここに決めた。
お魚の塩焼きがおいしく、アイスクリームが付いてる?と思ったらクリーミーなポテトサラダだった。
(1月28日、兵庫県立美術館)
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