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2019年10月24日02:07

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表現

「おおーっと?!どうした?山村選手、突然ボールを抱えて走り出しました。解説の石橋さん、これは?」
「……ちょっと、状況が分かりませんが、山村選手のハンドということになりますね」
「ええ、あ、主審が今大きく笛を鳴らしました。……が山村選手、大きく手を振り、何か抗議をしている模様です」
「いけませんねこれは」
「これ、石橋さん。山村選手何であのような行動を取ったんでしょうか……」
「うーん、ちょっと分かりかねますが、前半15分の場面でオフサイドを取られたときに、納得いかないというようなゼスチュアをしてましたらからね……ひょっとしたら、いわゆる『キレちゃった』というやつですかね」
「なるほど、前半の判定の時から審判のジャッジに対して不満を抱えていて……その、抗議行動というか」
「いや、だとしても当然許される行為ではないですし、前代未聞ですよこれは」
「ええ、おーっと、ここで田沼主審、レッドカードを出しました」
「当然でしょう」
「あれ、でも、ちょっと待ってください。山村選手下がりませんね。田沼主審に詰め寄ってます。あ、両陣営の監督、コーチ陣がピッチに入ってきました」
「あー、あー、これちょっとまずいです……」
「一体どういった会話が交わされているのでしょうか……」

***************

「ハンド!」
「はい?」
「いや、だから山村選手ハンド」
「分かってます」
「いや分かってますじゃなくて、ボールを相手チームに渡して」
「嫌です」
「は?どういう意味?」
「田沼さんの耳が正常であれば、今聞こえたそのままの意味です」
「いや、どういうつもりなんだ?」
「どういうつもりって、逆にこっちが聞きたいです。さっき僕、ボールを抱えて走りましたよね?」
「ああ」
「田沼主審は、あれを咎めているわけですよね」
「いや咎めているとかじゃなくて、ハンドだと言っている」
「つまり、僕の表現の自由を認めないということですか?」
「表現の自由?」
「ええ、表現の自由です。つまり僕は『サッカーという競技の最中に手でボールを抱えて走る』という表現を行ったわけです」
「いや、ちょっと何言っているか分からないんだけど」
「分かりませんか?僕の先ほどの行為は、芸術なんです。かつてマラドーナの『神の手ゴール』と呼ばれた作品があったように、今私は『山村大暴走』という肉体表現を行ったわけです」
「いや、ちょっと誰か来て、山村選手が訳の分からないこと言ってるから」
「人集めてどうする気ですか?多数の意見で一人の意見を封じ込めようというんですか?僕は負けませんよ。表現の自由はどこまでも許されるべきなんだ」
「だから、何言ってんのか分からないけど、早くボールを放しなさい」
「放しません。こういやって今ボールを抱えていることも、表現なんです。『山村大暴走』はまだ未完成です」
「……退場させるよ」
「あー。結局そうやって権力を乱用して、力づくで従えようというんですね。いつだってアンタ達はそうだ。いいでしょう。戦いますよ。僕が今折れてしまったら、次の世代の表現者達の道を閉ざしてしまうことになる」
「レッドカード」
「で?」
「いや、だからレッドカード一発退場ってこと」
「引きません」
「いや、ボールを置いてピッチから下がりなさい」
「嫌です。僕は屈しません。表現することを止めません。止めるわけにはいかないんです。田沼さん、アナタは僕が短指症といって生まれつき指が短いというハンデキャップを負っているから差別しているんだ」
「していない」
「いや、そうに違いない。これは差別です」
「いや、知らないから、君の指が生まれつきどうとか、今初めて聞いたから」
「誤魔化す気ですか?都合が悪くなったら『知らなかった』って、そんな横暴な」
「私のどこが横暴なんだ。横暴なのは君の方だろ」
「おっと、論点ずらしですか?」
「ずらしていない。むしろずれているのは君だ。そもそもこれは表現の自由とかそういう問題じゃなくて、単純にルールの問題なんだ」
「違います。ルールの問題ではなく、『敢えてルールを破る』という芸術表現への弾圧を許すのかどうかという問題です」
「噛み合わない……どうすりゃあいいんだ」
「僕に構わずゲームを進めてください」
「いや、そういうわけにはいかないから」
「皆さんがゲームをしているこのピッチの上で僕はボールを抱えて走り回るという表現を続けます」
「駄目だ。駄目に決まってる。そんなシュールな映像」
「いいから僕に構わないでください」
「そういうわけにはいかない。君がこうやってゲームを妨害していることは、ある意味業妨害だぞ。警備員を呼んで力づくで締め出すことだって出来るんだからな」
「いいですよ。やってみてください。絶対に僕は表現することを止めませんから、今やこのボールは僕の体の一部なんです。いやむしろ、僕がボールの一部なのかもしれない。熱い、熱いよ!ボールの脈動が僕の血流を加速させてゆく」
「もう無理、怖い。本当に警備員を呼ぶ!」
「やれるもんならやってみやがれ。ひゃっほーーーい」

 山村は、ボールを抱えて走り回った。何人もの警備員が彼を追いかける。しかし、プロ選手である彼の走力に追いつける警備員などいるはずもない。
 観客席からの盛大なブーイングを浴びて、山村は、自分の芸術表現が大衆の意識に一石を投じることに成功したのだと確信し、言い知れぬ満足感で満たされていた。
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