mixiユーザー(id:44534045)

2019年10月02日14:36

47 view

入れ子 前編

 娘を保育園に送り届けた後私は、赤生田(あこうだ)先生のマンションに向かった。打ち合わせの為。
 赤生田 甲、ミステリー作家、担当者泣かせで有名、既に3人もの担当者が辞めている。それもたった2年での話。締め切りを守らないとか、気難しいとかそういった有りがちな理由ではないらしい。と、そこまでは知っている。が、それ以上は知らない。知らなくていい。敢えて詮索しないようにしている。遅かれ早かれ、私は4人目に辞める担当者になるのだろうが、できれは「遅かれ」のほうでありたい。深入りし過ぎると、きっとこの仕事、長続きはしない。のめり込まないこと、この仕事は確かに、やりがいのある仕事だが、身を入れすぎてはいけない。
 別れた夫が、私の反面教師。仕事、仕事、仕事、「明日は日曜日だからゆっくり仕事が出来るなぁ」、休みの日も仕事。その挙げ句、心身ともにボロボロ。ついでに家庭もボロボロ。それでGood-bye。
 別れてから娘の結衣を出産した。私はシングルマザー。慰謝料は貰っていない。養育費は貰っている。とはいえ、足らない。父親のいない彼女の人生を全力でサポートする義務が或るのだ私には。お金は必要。収入の良い今の仕事を辞める訳にはいかない。小宮山亮子35歳バツイチの事情。

 コンクリートの打ちっぱなし、冷たさと、清潔感漂うマンション、いや清潔感というより消毒感かな。植木 2、3本も植わっていればよいのに。無機質剥き出しで、まるで大きな檻、もしくは棺のよう。
 作家の自宅で打ち合わせなんて、あまり聞かない。少なくとも私にとっては初めての体験だ。が、先方が指定してきたのだから仕方ない。インターホンを押す。
「高食出版の小宮山です。打ち合わせに参りました」
沈黙が数秒あって、「はい」という応答。扉が、電子的に解錠される音。「どうぞ」。私はバッグを担ぎ直し、檻の中に入る。

 **********

「『意外に普通の部屋だな』って、そう思っているんだろう?」
 "物珍しさ"を求め、部屋中に視線を巻き散らかしていた私の意中をズバリ見抜き、赤生田甲が、指摘した。咎めるような口調ではなく、苦笑混じりで。
「ええ、まぁ」
「あんな際どい小説を書く作家だから、定めし部屋の様子も相当にエキセントリックだろうと、そう思っていたんだね?」
 返答に困る質問だ。
「正直そう思ってました。けど、いたってごく普通のお部屋なんですね」
 精一杯の営業スマイルで私は応えた。
「そう、ごく普通、この部屋の住人と同じくね」
 今度は私が苦笑する。
「済まないね、わざわざ自宅にまでご足労願って」
「いえ、全然」
「まぁ、掛けて」
 普通の椅子に座る。珈琲の暗澹で満たされたカップが私の前に置かれカチャリ、赤生田が向かいに座る。打ち合わせが始まる。
「次回作なんだけど、殺しについて書こうと思う」
 私は戸惑う。(今更何を改まって?過去に作中で、いったい何人殺してきたと?)
「シンプルな殺し。ただし、リアルな殺し。今までの作品のように、リアリティの無い殺しではない。息潜めねば、完読できぬほど、生々しい殺人シーン、そんなシーンを描きたいのだ私は」
 なるほど、そういうことか。私は合わせにいく。
「今までの作品でも、かなり過激なシーンが、例えば『堕胎ごっこ』など、非常に衝撃的な作品だと思いますが−−」
 かみ殺すように 赤生田が言う。
「違う。そうじゃない。過激であることとリアルであることは、同意ではない。むしろ逆だ。過激であればあるほど、現実味は薄れる」
 (しまった。今のは失言か?)
「私はね。本来、"写実派"なのだよ。そう、画家で言えばフェルメールのような」
 心中の失笑を禁じ得ない。
「ではたとえば先生は、『レースを編む女』のように登場人物を描きたいと?」
 半ば揶揄するつもりで言ったのだが、赤生田の反応はというと、テーブルに両手突いて半ば立ち上がり。
「そう!それなんだよ!」
 余りに無邪気な反応に毒気を抜かれる。
「小宮山クンは『レースを編む女』の実物を観たことは?ああ、そうかね。あの作品ではね、ソーイングクッションから零れる赤と白の糸がぼんやりと抽象的に描かれている。その結果、女が編むレースがより鮮明に現実的に見る者の意識に映って見える私は」
「先生、お言葉を返すようですが、一部を抽象化して描写するという時点で、写実とは、言い難いのでは?」
「それは違う。君の発想では、写実主義の絵画は須く、写真に劣るこということになってしまう。人の意識に映る風景こそを私は現実として捉えているのだよ。つまり、日常に偏在する神性を、等身大に描きたいのだ私は」
 赤生田の意図が見えない。焦る。流れを変えねば、縋るようにカップに手を伸ばす。
「頂きます」
 口に含む。苦い。苦すぎる。悪意すら感じる苦さだ。こんな珈琲を客に出す人間はきっと異常者だ。なんとか胃の腑に落とした苦味、咽せるのを我慢して、2、3回の息に小分けにして吐き出し。
「では、『指切り』で描かれたヒロインの切断シーンや、『目玉焼き』で主人公が、両目を抉られるようなシーンは、もう作品集に必要ないと、そう仰るのですね?」
 赤生田は、無言で頷いた。私は絶句、途方に暮れる。だってそうだろう。言っちゃあ失礼だが、過激さだけが売りの作家が、金輪際過激シーンを描かないと言っているのだ。どうすればいい?突如偉大なる悟りを開かれたこのアーティスト大先生を、編集者としてどう躾ればよいというのだ?眩暈がする。そんな私から発する空気を読みもせず、赤生田。
「私はもともと、私小説を書いていた」
 そんなことは重々承知している。高校教師時代の体験を基にした、いわゆる私(わたくし)小説。Amazonのレビューでは、「出来の悪い日記」と評されている類だ。因みに、主人公たる私=赤生田という暗黙的了解で物語は展開してゆくのだが、何作品目かで、"私"が女生徒をレイプするシーンがあり、当時物議を醸した。
「私はね小宮山クン。リアリティの無い作品をもうこれ以上書きたくはない。私は本来、自分自身で体験したことしか描かない−−いや、描けない作家なんだよ」
「でも先生、例えば『目玉焼き』を書かれるに当たって、あの様な体験をなさったわけではないでしょう?」
 嗤って。
「うん。当然だ。人様の眼ン玉をフライパンで炒ったことはない。ただし」
 私の眼をじっと見据えて。
「不慮の事故で両の眼球を失ってしまった高田美咲という教え子がいた。或る日、彼女に頼み込み、眼球のない眼窩を覗かせてもらったことがある。その体験があの作品にリアリティを与えては、いる」
「え?」
 驚く。視界がグラつく。
「では『指切り』はどうですか?まさか教え子の指を切断した経験は−−」
「当然無い。ただ、教え子でヤクザになってしまった山本琢弥という子がいてね。その子が19の時に、へまをやらかして、指を詰めさせられた。私は彼に頼み込み、切断した指の跡をスケッチさせて貰ったよ」
 私は言葉を失う。頭がクラクラする。考える。この流れの会話は不毛だ。話題を変えよう。
「ところで先生、フェルメールの絵画ような次回作ですが、具体的にはどういった内容の作品をお考えレすか?」
 舌がもつれた。
「うん、そろそろ話してもいいだろう」
 ゆっくりと、椅子から立ち上がり、赤生田甲はにんまりとして。
「いい加減、薬が効いてきた頃だろうから」
 私はぼんやりと、言葉の意味を考える。瞼が重い。眠い。囁き声が近過ぎる。
「さあ、現実を体験しようか」
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する