忠臣蔵で有名なのが播州赤穂城。
元禄の頃は海に面した城で、海が近いこともあり井戸を掘るわけにいかず、はるか先の千種川から上水道を敷設し、城内のみならず城下各戸にも給水するシステムを構築していました。
元禄14年、3代目だった浅野長矩が松の廊下で吉良義央に対する刃傷事件を起こしたことで浅野家は改易となります。この時、喧嘩両成敗ならよかったのですが、吉良は、おとがめなしとしたため、仇討ちにいたりました。もっとも浅野長矩は性格的に問題もあったという説もあります。
幕府は仇討ちを後押ししていたようで、吉良の屋敷を呉服橋門内から本所へ移転させ、討ち入りさせやすくしています。赤穂城は堀と石垣だけでしたが、門や櫓などが復元されています。
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