その男が「10辛でお願いします」と言ったとき、お店のひとは誰も驚いたそぶりを見せなかったから、おそらく彼はすでにそこではよく知られた存在だったんだろう。ちなみに10辛というのは1辛の10倍にあらず、なんと24倍の辛さ。そして6辛以上に関しては、5辛を過去に1度でも完食し、証明書を手にしたひとしか挑戦できないというハードルが設けられている。
30歳前後、ガタイも顔立ちも服装もいたって平凡。やがて彼の目の前に10辛カレーが到着、具が目立たないからビーフあるいはポークカレーか。ついで彼は生卵をオーダー、すぐさま割ってスプーンでルーをぐるぐるかき混ぜ始めた。この生卵注入に何か特別な意味があるのだろうか、「冷めてしまうのに…」とこちらが思うくらい、このかき混ぜはけっこう長かった。
彼はさらに驚きの行動に出る。テーブルに置いてある「とび辛スパイス」をドバドバと惜しげもなくルーの上にふりかけ始めたのだ。このスパイスと○辛の相関関係はわからないけど、たぶん辛さの種類が別モンなんだろう。けっこうな量をふりかけるとふたたびかき混ぜタイム、ゆっくりゆっくり、まるで何かの儀式のようだった。ルーはとっくに冷めている。
ようやく彼が一口、二口と冷めきったルーを口に運び始めたとき、私のほうがお店を出る時間になってしまった。なので彼が完食できたかどうか残念ながら確認できてない。でも最初の何口かを見るかぎりでは、我々がふだんカレーライスをいただくときとなんら変わらぬ仕草そして表情だった。たぶん彼は完食に成功したと思う、ただそのカラダだけが心配でしかたない。
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