フランク永井が活躍したのは、1955(S30)から30年間。この時代に「フランク」といえば日本ではフランク永井だ。海外では、フランク・シナトラ。ジャズという名でくくられた洋楽が、戦後せきを切ったように日本に流れ込んできた。フランク永井はクロスビーの歌が好きだったようだ。
フランク永井の売れると、テイチクから対抗馬としてジェームス三木をデビューさせた。ジェームスは長年にわたった下済み努力を重ねたが、歌手は断念した。だが、彼はその後テレビ界の脚本家として大きな業績を残した。さらに「マスコミ九条の会」呼びかけ人として、戦争ができる国へ憲法を変えてまでのめり込もうとする時世にも意見を表明をしている。
フランク永井が舞台で活躍していた時代に、フランク赤木という歌手がいた。フランク赤木は芸名ではない。ハワイ生まれたいきさつからの本名だ。
ウエスタン、ロカビリー、カントリーといった歌が流行り、日本人によるカバーが多数出た。米軍が日本を占領しいたるところにキャンプがあり、そこに出向いて歌うということが、戦後日本の歌謡曲歌手の大きな仕事だった。
赤木もそうだ。先輩ディックミネからフランク永井と同じようにいっしょに地方を巡業する。彼の残した歌はいくつか残っている。MEG-CDからも復刻されている。「ジャングル大帝1998」なども歌っているようだ。
手元にあるのは「星空を見つめよう」というEP盤しかないが、残された歌を聴いてみると、しっかりした歌唱をしている。高音もきれいだ。
この高音は、彼の吹き込んだ「暗い港のブルース」に特徴が表れている。この曲はキング・トーンズの歌唱(なかにし礼作詞)が有名なのだが、フランク赤木のために作られたもの(薩摩忠作詞)のようだ。
「魅惑のオン・ステージ」には、別途テープ盤があり、そこでフランク永井の「暗い港のブルース」のカバーが入っているということは、別項で紹介したが、これは中西盤。
ちなみにキングトーンズカバーでは「グッド・ナイト・ベイビー」もフランク永井は歌っている。「高音」が売りだし、高音が魅力のこうした曲を、低音のフランク永井がどう歌うのか、結果どうなのか、それもファンの楽しみだ。
さて、フランク赤木だが、彼は映画にも出演したり、その時代にそれなりの名をはせたのだが、フランク永井が舞台を降りたあたりから名を聴くことがない。フランク永井よりも何歳か下だ。今どうしているのだろうか、とふと思った次第である。
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