ここは、福岡の宮地嶽(みやじだけ)神社。
しわす(広瀬アリス)は就活中。しかし就職が決まらず、宮司の父(リリー・フランキー)のもとで巫女の仕事をイヤイヤやることに。
彼女の母(飯島直子)は、しわすが幼いころに家を出て行ってしまった。
それが原因で父ともうまくいっていない。
巫女仲間のなずなは、「清らかな巫女」どころか、あちこちで男と遊びまわり、
「絶対、バチあたるけんね!」としわすは毒を吐く。
そんな中、神社ではボヤ騒ぎや、食べ物がなくなったりする事件が続く。
夜間見回りを始めたところ、しわすはゴミ箱に放火しようとしていた幼い男の子を発見。
つかまえるが、その子はまったく口をきこうとしない。
父からその子の世話係を命じられたしわす。
しかしどうしようもない悪ガキで、賽銭泥棒を働いたり、しわすは手を焼くばかり。
ようやく、彼の母親、美和(MEGUMI)がその子・健太を引き取りに現れた。
派手ないでたちのシングルマザーで、新しい恋人と付き合っている美和に、しわすはどうにも不安を覚える。
再び、健太が顔を腫らして神社に現れた。
母親に殴られたに違いないとしわすは思ったが、「誰に叩かれたの?」という児童相談所職員の問いに、なぜか健太は黙ってしわすを指さすのだった。
このままじゃ、巫女の幼児虐待の疑いで、神社はつぶれるよ!
そう言われ、濡れぎぬを晴らすべく、しわすは健太のもとにおもむき、彼をかっさらってあてのない道中をはじめるのだが・・
宮地嶽神社は、福岡の人間にはなじみ深い。
拝殿の太いしめ縄が特徴なのだが、昨今、嵐が出演するCMで有名になり(年に二回、日没前、光の道が参道から一直線に海まで現れる)、パワースポットとか、嵐ファンの聖地として訪れる人が激増しているという。
それはともかく、神社という「聖」の場所と、人間世界の苦悩や怒りや嫉妬や欲望といったこれ以上のない「俗」を対比させて物語の舞台にしているところが面白い。
母のいないしわす。
母はいるけれど育児放棄に近い家庭の健太。
宮司は健太にも美和にも
「起こったことを受け入れて生きていくしかないのですよ」と説く。
それはしわすにも同様だった。
「神様はわたしのことが嫌い?」
「神様は好きも嫌いもありません」。
リリー・フランキーは、まさに“癒し系宮司”なのだ。
なぜ健太は、暴力をふるったのがしわすだと指さしたのか、映画の中では明らかにしていない。実の母をかばうゆえか、かえってしわすが自分にかまってくれると思ったのか。
ロケ地の宮地嶽神社周辺はのどかで美しい風景が広がる。
しわすと健太が歩く海岸の道から見える海はほんとうにきれいだ。
ここには海水浴場があり、遠い昔、彼氏(現在の配偶者)と泳ぎに行ったことがあったなあ。
広瀬アリスの福岡弁、けっこうサマになっている。
タイトルの「巫女っちゃけん。」は、標準語だとどういえばいいだろう。
「巫女だからね」とでもなるのだろうが、方言のニュアンスは伝わりにくい。
やっぱり「巫女っちゃけん。」というタイトルにしたのは、秀逸かも。
(2月7日、シネ・リーブル梅田)
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