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2018年01月23日22:30

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「ワルカッコ良さ」こそブルース。( ライトニン・ホプキンスの世界 )

ブルース好きな自分がもしも、じゃあ君の好きなブルースマンを順に挙げてみよ。と、問われれば、たぶん首をひとひねりしてから「やっぱりまずは、ライトニン・ホプキンス」と言うだろう。

ちなみに2番目がBBキングか。3番目がジョニー・ウインター?

自分が彼の名を最初に知ったのは当時の「ニューミュージックマガジン」だったと思う。おそらく追悼記事だったのではないか。

彼のアルバムを初めて聴いたのは20数年前のこと。中古CDで買った『Lonesome Life』。Pヴァインからの国内盤。オリジナルのリリースは1968年。
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いやもう、一聴して参りました。なんなんだこのエグ味たっぷりのダーティーな歌声は。そして、ルーズでどんよりとした演奏と曲調。
先述のBBキングみたいなのがブルースだと思っていた自分にとってはこれは衝撃でした。何かひじょうにヤバい世界を覗いてしまったような気分。

続けて、これまた中古盤で買ったカップリング盤『Texas Blues man』(67年)は、バンドセッション風の『Lonesome〜』と違い弾き語り。それが更にディープで凄味たっぷり。
なによりも気持ちを鷲掴みにされたのは、それを物語るようなジャケ写。
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ハットにサングラス、くわえタバコで不敵な笑顔!ほとんどヤクザ者である。まさに、この出で立ちそのものがブルースではないか。

様々な辛酸を舐め、ブルーに染まる思いを、時には哭き、時には笑い飛ばしながら、自由に太々しく生きる漢の音楽だと思った。

先日の正月休みだったろうか、夜に酒を飲みながらテレビを観ようにもめぼしい番組が無いので、5年前に買った彼のドキュメンタリー『ライトニン・ホプキンスのブルース人生』を棚から取り出して久しぶりに観た。
撮影は1967年。前掲の2枚と同じ頃。フォト
本編わずか40分程度にライトニンの「ヤクザなダンディー」振りが一杯だ。パフォーマンスも、語る時の佇まいも。

最後になると、何かの拍子なのか髪の毛が逆立ったまま、それを気にせず思いのままに弾き語っている。どうも酔っているようだ(笑) しかしその忘我のままで言葉が、ギターのフレーズが身体の中から湧き出すように歌う。まさにブルースの境地を見るかのよう。
彼は言う、「ブルースっていうのは、つかみどころが無い。死みたいなもんさ。いつだって、どこに居たって、お前さんから離れない。」
肌の色も人種も国籍も違う自分が、いや、世界中の人がどうしてブルースに惹かれるかをとてもシンプルに、核心をついた言葉ではないだろうか。

実は去年の6月に、以前に日記にしたBBキングの4枚組と同じ時にライトニンの、同じく4枚組のセットを買った。
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アルバム8枚分が収められていて、その中には未だ買わずにいた名盤『Mojo Hand』(60年)もある。これで千円ちょっとの安さはありがたい限り。
特に1959年の最初のアルバム。彼が公に「再発見」されたものだが、声とギターがすごそこで聴こえるようなダイレクト感がたまらない。

小丸1 ライトニン・ホプキンス
1912年テキサス州センターヴィル生まれ。少年時代の1922年に、ブラインド・レモン・ジェファーソンに出会いギターを教わる。1927年にはいとこであるテキサス・アレクサンダーと共に テキサスにあるレインボー・シアターで演奏する。 レコードデビュー当時、よくコンビで演奏をしていたピアニストのサンダー・スミスのサンダー(雷)にちなんで自らをライトニン(稲妻)と名乗るようになる。
黒いサングラスに葉巻をくわえたスタイルで演奏し、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバルに出演したり、マンス・リプスカムと共演したりした。
初録音は1946年で、1959年に白人により再発見され、ようやく世界にその「ライトニン節」を轟かせる事になる。
R&Bチャートにランク・インするような曲を次々にリリースし、50年頃は「ハロー・セントラル」がビルボードにチャートインするほど大変な人気ぶりで、カントリー・ブルース界でも極めて稀な存在となり、戦争を題材にした歌などもリリースする。
1930年代は放浪していることが多くヒューストンに移り住んだ後、バーで演奏やストリートでブルースを歌っていた。
ケンカが原因で、刑務所送りになったという辛い過去がある。
ライブではアメリカ各地の大学・ヨーロッパ等、どこも超満員だった。 語彙が豊富で、頭の回転の早い彼による心の奥底を探るような歌詞は、彼自身の気分によって抱腹絶倒の内容になることも、痛ましく荒涼とした内容になることもあった。彼はその場の雰囲気に合わせて即興で歌詞を作ってしまうことでも有名で、そのためライヴ・レコーディングでは、しばしば予想を超える内容になる等、エピソードには事欠かない。
1978年に最初で最後の日本公演を行っている。 1982年癌に死去。〈Wikipediaより抜粋 〉

『ライトニン・ホプキンスのブルース人生』より。

https://youtu.be/6cGP49ZloCA


https://youtu.be/y5QiISuDlY8


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