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2018年01月07日12:48

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平和の終着駅はどこ?( 映画『希望のかなた』)

そうか、前作である『ル・アーブルの靴みがき』からもう6年も経っていたのか。
その前作と同じ難民問題に正面から向き合ったフィンランドの名匠アキ・カウリスマキの新作。

正直言って自分は『ル・アーブル〜』をそれほどいい映画だとは思わなかった。どうしてカウリスマキがこういう題材を取り上げたのか?という違和感だけでなく、その前年に公開された『君を想って海をいく』が同じストーリーで、とてもいい映画だったから割を食ったのかも。
そして本作。これがまさに、いつも以上の「カウリスマキ節」全開でいて、誠実さに溢れる良作に仕上がっているのです。

内戦を逃れ、流れるようにフィンランドの首都ヘルシンキにやってきたシリア人のカーリド。彼は難民申請をするが受け入れられない。途方にくれる彼。
そのヘルシンキで衣類のセールスをして暮らすヴィクストロムは、さえない仕事と酒浸りの妻に嫌気がさし、それらを捨てて第二の人生を始めようとする。

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カーリドとヴィクストロム。ふたりの物語が平行に進行し、やがて思わぬところで邂逅する。
ヴィクストロム達がカーリドに寄せた、「善きサマリア人」を思わせる、役所のシステムにはない市井の人々の果敢な優しさ。その反面、ネオナチのような連中もカーリドを脅かしたりする。
一際注目させられたのは、カーリドが難民申請する時に係官に語った自分の身の上話。かなりな長台詞。しかしそこに難民にならざるを得なかった苦難が滲み出ているし、ヴィクストロムとカーリドそれぞれのストーリーに寄り添うような眼差し、それはまさにカウリスマキ監督のメッセージに他ならない。誰にでも善意を試される時があり、自分たちの目線、モノサシだけでものを見てはいけない。という。

だけどそこは前述した「カウリスマキ節」です。ふたりをはじめ誰もが笑わず仏頂面。無愛想な立ち位置。間をたっぷりと取る「しれっとした」空気の中に漂う人情味、ふんだんに散りばめられるとぼけたユーモアとウィット…(ヴィクストロムが「寿司レストラン」を開業するくだりが最高に可笑しい!さすが日本好きのカウリスマキ )
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そして音楽。これがまたロックとフォークとブルースがいい感じです混ざりあっているような小粋な曲ばかり。旧作以上に数多く流されて深刻なストーリーを励ますかのよう。パフォーマンス場面も多い。一部を除いてほとんどがオリジナルというのがまたいい。
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【予告編】https://youtu.be/vkPBj5jfua0

「私がこの映画で目指したのは、難民のことを哀れな犠牲者か、さもなければ社会に侵入しては仕事や妻や家や車を掠め取る、ずうずうしい経済移民だと決めつけるヨーロッパの風潮を打ち砕くことです。

ヨーロッパでは歴史的に、ステレオタイプな偏見が広まると、そこには不穏な共鳴が生まれます。臆せずに言えば『希望のかなた』はある意味で、観客の感情を操り、彼らの意見や見解を疑いもなく感化しようとするいわゆる傾向映画(※)です

そんな企みはたいてい失敗に終わるので、その後に残るものがユーモアに彩られた、正直で少しばかりメランコリックな物語であることを願います。一方でこの映画は、今この世界のどこかで生きている人々の現実を描いているのです。」(アキ・カウリスマキ)
※傾向映画とは、商業映画の中で階級社会、および資本主義社会の矛盾を暴露、批判した内容を持つ昔のプロレタリア映画。

〈 シネリーブル梅田で公開中 〉




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