今年の夏は変な気象が続き異様であった。仙台などは何日も雨が続いた。いつもは灼熱の暑さでも海岸ではしゃぐ多くの人たちでにぎわっていたものが、今年はさっぱりだったようだ。秋に入ったが、気象庁も進路予想不能な変な台風。出戻り迷走とか風速60メートルとか、裕次郎が歌った「風速四十米」で驚いていたのはもう古い。
本来なら秋の気候や自然の気持ちよさを味わうべきこの季節なのに、絵に描くように大型台風が日本列島を縦になできるように縦断するという。収穫の田園や観光地はどうなるのだろうと心配する。しかも核だミサイルだで気が抜けない緊張をあおられ、何とも気がふさぐ。
連休なのに外にも出れず、普段やや敬遠気味のユーチューブを観てみて思わぬ発見があった。それは表題通りなのだが、1977年のテレビ放送された歌番組で歌うフランク永井映像があった。
そこでは、フランク永井と八代亜紀が「サパー・タイム」を歌い、岩崎宏美が参入して「大阪ぐらし」「有楽町で逢いましょう」を歌う。続いて、八代亜紀と「東京ナイトクラブ」をデュエットする、という趣向だった。
「サパー・タイム」という歌は、近年は同名異曲が主として知られているようだが、当時でも珍しい夕食時のほのぼのとした一家団欒、子どもを交えた幸せの歌。子供の日にちなんでの選曲。フランク永井「データ・ブック」にも記録していない珍曲ということで、目が奪われた次第。
1977年の番組と言えば今からちょうど40年前になる。阿久悠全盛時代といえる。フランク永井は比較的には沈んでいた時代で、現在は代表曲として定番になっている「おまえに」に再び栄光への願いをかけるように、異例の3回目のレコードリリースをした年だ。
岩谷時子作詞吉田正作曲。岩谷が吉田夫人をモデルに書いた詩だと、最初にリリースした1966年ごろから噂されていたが、いい曲なのにA面「大阪ろまん」の陰に隠れて沈み気味。恩師に対する恩返し的な感情もあったろうし、好きな曲でもあったことから1972年に、一部の歌い方を変更して再リリースする。これでも満足にいたらず、1977年他の例を無視したような三回目の発売に踏み切る。曲自身は、三回目に新たに吹き込みをしたのかと感じたものだったのだが、二回目のものと同じであったようだ。
「おまえに」というテーマや設定がよく、ブームが拡大しつつあったカラオケでの人気が徐々に広がって、ついに受け入れられて、今でも歌い続けれている。
こうした1977年の時代に、テレビではフランク永井のその名の通りの気さくさからテレビでの露出も多かったようだ。フランク永井はラジオとか映画とかで人気を得て、舞台や全国行脚的なショー、そしてナイトクラブなどで歌う、あるいは労音などのライブで歌い、経験的に対面的な語りを含めた歌唱に自信を持っていた。テレビ時代に移るときに、視聴者のレスポンスをリアルタイムでつかめないテレビは若干不安で好ましく思っていなかったふしがある。
しかもテレビ時代といっても、初期はモノクロで何よりもモノラル音でしかもそれが中音と高音に特化したような作りになっていることから、売りである「低音」は本来の音を伝えきれないときている。こうした局面はカラーになり、広告がカラーの先導をし、放送装置も受信機も急速に改善される。質的にも飛躍的な突破をとげたのは、過去の放送規格(NTSC)を放棄した地デジ。
音だけのラジオ。映像と一体だが劇場中心の映画。これが身近な家庭のテレビはいろいろあっても視覚に訴えることから、世界中で大衆の欠かせないメディアになる。エンターテインメントも中心がテレビに代わる。
そうした時に、テレビを嫌がっていては芸人は務まらないことから、フランク永井も徐々にテレビでの露出が多くなり、しかめっ面が明るくなる。1977年はそんなじだいだった(かも知れない)。
ユーチューブの映像に戻る。どなたかがユーチューブにあげてくださったこの映像は、正確には直接見ていない番組「トップスターショー 歌ある限り」(1977.5.5:TBS放送)に違いない。(mixiで報告した
http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/o1996/)
【出演】フランク永井、沢田研二、八代亜紀、岩崎宏美 ほか【司会】二谷英明、久米宏【プロデューサー 】今里照彦【ディレクター・監督 】平山賢一と記録されている。
ユーチューブ映像は一部だけだが「君恋し」と「おまえに」もここで歌われたようだ。
できれば無償で鑑賞できる放送で再放送をしてほしい。
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