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2017年05月23日16:22

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南蛮文化館

「南蛮文化館」は、阪急中津駅からほど近く、マンションが立ち並ぶ住宅街の中にある、私立の美術館である。

先般、朝日新聞の地方版に紹介されていた記事を読むまで、こんな美術館があるなんてまったく知らなかった。
開館は1年のうち5月と11月だけ。

名前の通り、安土桃山時代から江戸時代のはじめまでの、南蛮(ポルトガル、スペイン)との交流によって影響を受けた美術品、工芸品、古文書などが展示されている。

「南蛮屏風図」は、六曲一双、縦1.6mの大きさで重要文化財。
来航した南蛮商人や宣教師たちとそれを迎えた人々が描かれ、当時の街の様子がよくわかる。
狩野永徳・光信一門の作らしい。
人物の中に幾人もの黒人たちが描かれているのが目につく。
当時、ポルトガルはアフリカ・モザンビークから黒人たちを奴隷として連行し、日本にもかなり連れてこられていたようだ(信長が黒人の「弥助」を家臣にしたこともよく知られている)。

南蛮からの文物は、当時の人々にはカルチャーショックだったろう。
宣教師たちが持ち込んだ絵画を手本に描いた風景画は、西洋風の遠近法を模したものであり、
人物も、陰影をつけて油絵風に描かれたりしているのに、この手法が江戸時代の美術界に継承されなかったのは、やはり禁教令があったからなのか。

わたしが見入ったのはイエズス会の「IHS」の紋章をあしらった、蒔絵螺鈿の箱。
まるで換骨奪胎したように、南蛮の意匠をちゃっかりと日本の伝統工芸品にしてしまっている。
文化館の窓口にいた女性に、「東洋風にデザインするのって面白いですね」とあとで言うと、
「あのイエズス会紋章の螺鈿の箱は、輸出品だったらしいですよ」とのこと。

十字架をあしらった黒織部の茶わん、南蛮人たちの姿の象嵌で飾られた刀の鐔など、当時の職人たちが自在に、最先端のビジュアルを取り込んでいく闊達さに目を瞠る。

さて、この美術館を知ることになったきっかけの朝日新聞の記事は、「悲しみのマリア」という絵画についてだった。
今から100年ほど前の大正時代、福井の医師の家の土蔵から、竹筒に入れられた状態で見つかったのだという。

江戸時代の初め、越前にいた隠れキリシタンの医者が捕らわれ、1643年に越前藩の江戸屋敷で刑死した、という記録もあることから、信仰を守って隠し持っていた絵画と思われる。
絵画自体は16世紀イタリアの画家によって描かれたらしい。
絵画は、発見された当初の、折り筋なども多数入った状態のままで展示されていたが、修復せず傷んだままの姿のほうが、むしろ、この絵がたどった苦い歴史ーキリシタン弾圧ーを伝えてくれるかのようだ。

ちなみに越前は、高山右近の父の出身地。
先述の、窓口の女性の説明によれば、北陸は禁教令が出された後もまだ取り締まりが緩やかで、そのために、関西からかなりのキリシタンが移っていった経緯があるのだという。

見終わった帰り、中津駅の近くにあった、長崎ちゃんぽんの店に入ってみた。
たしか以前ローカル放送で「うまい店」と紹介があったはず。
しかし・・本場・長崎のちゃんぽんと比べるとビミョーだ(^^;
やはり「地産地消」が一番か。
(5月17日)


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